耐震改修を終えた時、大工がリビング・ダイニングの床に座り込み、嬉しそうに1時間ほど眺めていた姿が印象に残っているという。「最近では建売住宅ばかりで、イチから考えて改修する工事は減っています。本来、職人さんは、こういうクリエイティブな仕事に喜びを感じるのです。皆さん面白がってやってくれました」と澤山は語る。
そして、こう続けた。「職人の手仕事は手間暇がかかりますが、易きに流れていくと日本の伝統産業を自らの手で葬ってしまうことになる。伝統の技を残した住まいは、工業製品のようにツルツルしていないけれど、ザラザラしていて手のぬくもりが感じられ、魅力があります」
廊下には、旅館時代から受け継いだ意匠がいくつも残されている(筆者撮影)
「月の道」の左官アートに隠されたロマン
次に、澤山が一目惚れし、旅館時代から残したものと新たに加えた「意匠」に注目したい。熱海は高台から水平線を望むことで、満月が水面を一本道のように照らす「月の道」が有名だ。まず、門にある鉄の丸いモチーフは、鉄の造形作家が古い雨樋を丸く切り取った。
熱海の波にぽっかり浮かぶ月のイメージだという。内装にも月をテーマにしたしつらえが多く見られる。下記の写真は、旅館だった頃から残る、廊下の壁に施された三日月とコウモリのような左官アートだ。
旅館時代から残る左官アート(筆者撮影)
左官職人が、庭に残った風呂場跡の壁の一部に、この「月の道」をモチーフにした左官アートを新たに施した。この「月」を巡って、澤山はあるロマンを感じている。実は、桃乃八庵の近隣には、桂離宮を世界に広めたドイツ人建築家ブルーノ・タウトが手がけた国指定重要文化財「旧日向家熱海別荘」がある。
澤山は「ブルーノが手がけた建築にも、月の符号があり、この旅館との縁を感じる」と語る。
庭の左隅に残る風呂場跡の壁に施された「月の道」(筆者撮影)
この他にも、随所に、インテリアデザイナーである澤山の遊び心が感じられる。キッチンキャビネットは老舗西川商店の金具が印象的なデザインだ。高級キッチンかと思いきや、本体はなんとIKEAだそうだ。このような思い切った組み合わせが、日本の伝統工芸品をいっそう引き立てる。