黒澤:公務員なのか、それとも専門家なのか。ここがポイントだと思います。いち公務員ならば名前を出すな、ということになる。公務員はひとりで責任がとれるタイプの仕事はしていないはずなので、どういう行動であっても正式に決められたとおりに発言したり、対応したりしますよね。
でも、学芸員は必ずしもそうではなく、通常の公務員としては捉えきれない職能を持つ者ですし、場合によってはとても属人的に研究をしていたりする。それを公のものとして扱うにはどうしたらいいか、ということを工夫してゆく必要がある。その研究に正当性があるのかどうかということも、さまざまなところで議論されながらも「これはやっていこう」という意思決定を組織的にしているのであれば、その属人的なものを反映させなければ能力が反映されない。ですから、自分の名前を出して仕事をしていけることはとても大切なことと思います。
成瀬:僕が新鮮だったと言ったのは「名前を出す」ことが当たり前だと思っていたからです。これは学芸員さんが属しているところと、公務員が属しているところで違うってことなんでしょうか?
高橋:公務員として美術館に勤めている場合、例えば、教育委員会の傘下にあり、市の職員や学校の教員が学芸員になるところもありますよね。金沢21世紀美術館は公益財団法人ですから、市からは一応は独立した組織である。学芸員はそこにいる専門職員ということになります。そういった違いがあります。
成瀬:ぼくが今回、学芸員さんを前に出して展覧会を作ろうと思ったのは、作品を選んだ本人が案内するのが一番面白いと思ったからです。よく展示会に行くと私はこれをどこここが面白くて、この作品をピックアップしたんです、と愛情たっぷりに話す人に出会います。彼らの視点に偏愛がある。その内容が、面白い。自分の視点でみていたのとは違う視点が手に入り、あぁ、なるほど。と、学芸員さんの支点に立てる。また、海外では当たり前のように学芸員さんが表に出ていて、このキュレーターだから作品を観に行きたい、という流れもあります。小さな取り組みではありますが、それを少しでも日本で作れたらいいなと思ったからです。この取り組みが第1弾として、今後学芸員さんが表に出ていくようになっていったら面白いですね。
黒澤:そうですか、ありがとうございます。僕からしたら少し大げさな話にも聞こえますが(笑)。ただ、シンプルに考えてみて、やはりその作品が身近なものである人に話してほしい、ということはあると思うんです。例えば、和菓子に関することを説明してくれるガイドがあったとき、お菓子を食べていない人ではなく、お菓子に詳しくて実際にピックアップした人がいるなら、その人たちの話を聞きいてみたい。そうした近しい作品との距離感を学芸員は持っている。そのような距離感が近い人の話を聞いてみたい、ということが聞く側の気持ちとしてあると思いますし、そこが大事なんじゃないかと思います。