人類がとことん「幸せ」を追求し続けた先に待ち受ける、意外な未来とは?『サピエンス全史』の訳者 柴田裕之に聴く(対談第3回)

柴田裕之



柴田裕之(右)と武田 隆(左)

武田:先生は、希望や可能性はあると思いながら訳されていますよね。

柴田:希望はあると思いながら訳しましたし、それは楽観かもしれませんが、楽観を持つこともまた、人間ならではの特徴です。将来AIにとってかわられるのかもしれませんが、楽観も生物進化の過程で得たものです。現実に即してないかもしれないけれど、それでも生きていく人が大半だったから、種として残ってきたわけですよね。客観的に眺めたら、農業革命のときに絶望的になっていたはずです。それでも、人間は自殺しませんでした。やはり未来に希望をつなぎ、今生きている価値があると楽観視できるのです。虚構を頼りにして、生きてこられたわけですから。

武田:イマジネーション……つまり、虚構を信じる力が、集団を作り、大きなマンモスを倒し、無敵のサピエンスになっていった。想像の力で一つになって苦しいこともあっただろうけれど、世界中につながっていって、飢饉も戦争もなくしていったという。これは、すごい力じゃないですか。

物理学者はビッグバンを特異点としている。それは、既知の自然法則がいっさい存在していなかった時点だ。時間も存在しなかった。したがって、何であれビッグバンの「前」に存在していたと言うのは意味がない。私たちは新たな特異点に急速に近づいているのかもしれない。その時点では、私、あなた、男性、女性、愛、憎しみといった、私たちの世界に意義を与えているもののいっさいが、意味を持たなくなる。何であれその時点以降に起こることは、私たちにとって無意味なのだ(259P・サピエンス全史・下)

武田:人類は7万年前の認知革命前にも、未来や不可解なものに対して「祈る」ことをしますよね。宗教的背景がある人は作法に則って祈りますが、無神論者や宗教の経験や知識のない人でも同様のことをしてきたと言えるのでしょうか。

柴田:宗教は祈りの道筋は提示してますが、その以前にも、何かにすがる、祈るという気持ちは、もともとあったのではないかと思います。人間は「苦しみ(suffering)」というものと根底で繋がっている生き物ですから、苦しみの延長線上に祈るという行為があったと考えてもおかしくないですよね。

武田:そうなんです。宗教はホモ・サピエンスが人間の「祈る」力をうまく認知革命に適合させることによって成功したものではないか、と思います。もしそうだとしたら、祈るという行為は、ずっと前から存在していたということになりますよね。7万年前からなのか、もっと前なのか。特異点が来る前に我々は何をするべきかという、ハラリさんの問いの答えが、ここにあるのではないかと思うのです。

柴田:その考えにはとても共感しますね。


しばた・やすし◎翻訳家。早稲田大学、Earlham College卒。訳書に、ハラリ『サピエンス全史(上下)』 『ホモ・デウス(上下)』 のほか、ドゥ・ヴァール『道徳性の起源』、リドレー『繁栄』(共訳)、オーウェン『生存する意識』、リフキン『限界費用ゼロ社会』 、ファンク『地球を「売り物」にする人たち』 など多数。ハラリの第3作『21 Lessons──21世紀の人類のための21の思考』が11月に刊行予定。

文=武田 隆

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