「幸せ」は遺伝子工学的に操作できる?
武田 隆(以下・武田):前回までは、人間の知的好奇心の矛先は外を知り尽くした後、内へ向かっていったというお話でしたよね。人間は産業革命でエネルギー転換の外在化に成功し、その後、肉体の研究を続け、遺伝子や脳構造など、それまで未知だった部分を解明していくようになりました。
柴田裕之(以下・柴田):はい。そこで生理学や生物学などが発展していきました。
中世の農民が泥壁の小屋を建て終えたとき、脳内のニューロンがセロトニンを分泌させ、その濃度をXにまで上昇させた。2014年に銀行家が素晴らしいペントハウスの代金の最後の支払いを終えたときにも、脳内のニューロンは同量のセロトニンを分泌させ、同じようにその濃度をXにまで上昇させた。脳には、ペントハウスが泥壁の小屋よりもはるかに快適であることは関係ない。肝心なのは、セロトニンの濃度が現在Xであるという事実だけだ。そのため、銀行家の幸福感は、はるか昔の祖先である中世の貧しい農民の幸福感を微塵も上回らないだろう(サピエンス全史・下・230P)
柴田:テクノロジーにより、物質面では素晴らしい恩恵に浴していても、そこに満足がなければ、生理学的に幸せ感は低い、とハラリさんは指摘しています。その結果として恐ろしいのは、幸福を生理学的に操作すればいいのではないか、という話になっていくことです。幸せに関して、遺伝子工学的な操作ができるようになるかもしれません。
武田:ドーキンスが『利己的な遺伝子』で、遺伝子の私たちへのコントロールとして、食事は1回で満足してはいけない、性交渉の相手も満足してはいけないと、満足感を維持できない仕組みをプリセットされていると指摘しています。しかし、いまの科学では、これを取り払うということも、可能になってきますよね。
柴田:だからこそ、これが本当に幸せな人生なのか、と常に考えなくてはいけません。
武田:これは難しい問題ですね。幸福のコントロールを倫理的に止めるのは不可能とも言っています。
たとえば、健康な人の記憶力を劇的に高める余禄まで伴うアルツハイマー病の治療法を開発するとしたら、どうなるか? それに必要な研究を止められる人などいるだろうか? そして、その治療法が開発された暁には、その使用をアルツハイマー病の患者だけに限り、健康な人がそれを使って超人的な記憶力を獲得するのを防ぐことのできる法執行機関など、あるだろうか?(サピエンス全史・下・P249)
柴田:こういうことは、現実化しつつあります。
武田:歴史を振り返れば、不可逆なことなのですよね。この、不死もまた夢物語ではなく、現実的な話だと、ハラリさんは独特の世界観で指摘しています。