デンマークの精子バンク成功の軌跡
デンマークで、なぜ精子バンクビジネスが成功を収めたのか、そこには試行錯誤を繰り返した歴史がある。
ドナー提供による赤ちゃんが初めてデンマークで生まれたのは1960年代だった。しかし、その時点ではビジネスにするほど法律や環境は整備されていなかった。
国として変わり始めるきっかけとなったのが、1983年にデンマークの合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子供の数の平均を求める数値)が1.38まで落ちたことだった。その数字は2018年の日本の合計特殊出生率1.42よりも低い。
自然に任せて人口を増やすためには、最低でも2より多い数字が必要だ。人々は人口を増やすために、何か動き出さなければいけないと危機感を抱くようになったのだ。
1984年に精子や卵子の提供に関する医師会のガイドラインができ、1997年には法律でドナーの権利(精子を提供しても、親権を持たない権利)が守られるようになった。
法律ができる以前は、子どもが訴えた場合、ドナーが養育費を払わなくてはいけないケースもあった。しかし、法律で守られることで、親としての一切の責任を負う必要がなくなる。

クリオスの職員とドナー提供者の面談風景(Cryos)
クリオスのドナープログラムが開始したのがちょうど1990年だった。ドナーの権利、そして被提供者の親権が守られることで、さらにビジネスが加速した。
奇しくも、スコウが夢を見て、精子に関する研究を始め、ビジネスを起こそうとしていた時と国民の関心が高まっていた時期が重なり、デンマーク国内でのビジネスが成功に向かっていく。市場のニーズや法規制の変化に応じて、2006年からは匿名ドナーに加えて非匿名ドナーの提供を開始した。今では、レズビアンのカップルやシングルの女性も、提供精子を使った不妊治療を受けることができるようになった。
また、少子化はデンマークだけでなく、日本も含め多くの先進国が抱える問題だ。世界の需要にも応えはじめ、いつしかクリオスは世界最大の精子バンクとなった。現在はドナーの権利がしっかりと守られているデンマークとアメリカから精子を世界中に「販売」している。