私は昔、キャリア初期に他の人々よりも早く出世の階段を上っていたとき、「傲慢な人」との(もっともな)評判を少し集めてしまった。それは私だけではなかったため、最高経営責任者(CEO)は私を含む経営陣全体に警告を出すため、あるコンサルタント(ここではチェットという仮名で呼ぶ)を採用した。
チェットは個別面談後、経営チームを集めてCEOの前で大声を出して経営陣を一人一人叱責し始めた。これに対して怒る人もいれば、すねる人もいたし、自分を擁護する人もいた。
幸運にもアルファベット順で進んだため、最後の私には観察の時間があった。まず、少しでも反論や責任回避、否定の姿勢を見せた人は、CEOの怒りをいっそう買っていた。また、考えられる言い訳は全て他の役員によって使い尽くされていた。
その場で誰も言わなかった唯一の言葉は「すみません」だった。そのため私はチェットにこき下ろされた後、彼とCEOに向かってこう言った。
「すみません。私は自分に問題があることにすぐに気づきませんでした。これまでの行動を申し訳なく思っています。正直、この問題にどこから取り組めばよいのかはっきりとは分かりませんが、お二人から、あるいはここにいるどなたでもよいので、提案があればぜひ教えてください」
私の発言後、面白いことが起きた。まず、チェットはびっくり仰天した。彼は私とやり合うことを予想していたため、私が争うのをやめて降参したことにどう対応すればよいか分からなかったのだ。
2つ目に、私はCEOのお気に入りとなった。自尊心が高い多くの役員と同様、CEOは自分の言うことをきちんと聞いて吸収してくれる人をただ求めていただけだったのだ。否定したり誰かのせいにしたり、言い訳をしたりせずに、「すみません」と言うことで、私はCEOに対し、彼の気持ちをしっかりと聞き入れたことを伝えることができた。
3つ目に、同僚の役員たちの前で自分の非を認めることで、他の役員たちも謝ることができる状況を作れた。また同僚の意見を求めることで、自分だけ注目を集めたことをひがまれることもなかった。
自分の非を認めることには、若干姑息な秘密が隠されている。それは、徹底的に下手に出ることで、周囲の人が自分を持ち上げてくれることだ。チェットに怒鳴られたその日、周囲からは何度も「いや、君だけのせいじゃない。私たち全員に非がある」と言われた。