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世界最大のECサイト、アマゾン。デジタル製品なら数十秒でダウンロードでき、形のあるものでも、ねじ1つから、2000万円のスペイン製の大理石テーブルまで、商品によっては即日届く。昨年、Prime会員数は「全世界で1億人突破」とも報道された。

今から19年前の2000年11月1日深夜0:00。日付が変わった瞬間、その米国の巨大サイト、アマゾンの日本ドメインがインターネット上に生まれた。「アマゾン ジャパン誕生」。すなわち「http://www.amazon.co.jp」のURLがアクティブになった瞬間である。しかしその胎動は、遡って1997年頃から始まっていた。


そしてそこには、まったく知られていない物語の数々があった。


曽根康司と野口 真がアマゾン ジャパンの成功を強く信じていたこととは裏腹に、この頃、世間は「ネットバブル終焉」のムードが蔓延していた。アマゾン本体の成功も世界的に疑問視されており、ジャパンのローンチ後には一時期、株価は5ドルにまで落ちたのである。

そんな状況下だからこそ、ジャパンローンチ前後に飛び込んでくる人材にはユニークなタイプも多かったらしい。たとえばウェブデベロッパーのマネージャーの個室は、スターウォーズのプラモやフィギュアでいっぱいだったという。野口は言う。

「ジャパンローンチのプログラムマネージャーは、CDも出しているプロのミュージシャンでした。また、中にはオジー・オズボーンの親戚もいて、ハードロック・ファンの自分は入社時から興味しんしんでした。ほかにも音楽好きは多くて、渋谷オフィスの近くから新木場のクラブ行きのバスが出てたので、10時ごろまで仕事した後、小腹を満たしてそのまま新木場に向かったりもしていましたね」

まさに、今でも生きるアマゾンの社内スローガン「Work hard, Have fun」そのものである。

さて、そんなジャパンローンチ前のある日。ヤフージャパンからアマゾン ジャパンのマネジメントメンバーにコンタクトがあった。聞けば、アマゾン・ドット・コムとYahoo! Inc.(現Altaba Inc.)との間にグローバルの広告契約があり、その中にはYahoo! JAPANも包含されているというのだ。契約はあってもそれまで「アマゾン ジャパン」のサイトは存在しなかったので、仕方なくアマゾン・ドット・コムのサイト内に日本語のページを1ページだけ作って、ヤフージャパン内の広告のリンクをそこに飛ばしていたという。しかし晴れて「アマゾン ジャパン」がローンチしたので、リンク先を切り替えてほしいという相談だった。

このことをきっかけに、それまでオンライン広告の実務担当者がいなかった日本側だが、ネットのテクノロジーがある程度わかっている曽根がアサインされた。

アマゾンとヤフー。使用コードが違う……

当時は「バナー広告を作って、飛び先のURLを発行して、Eメールで広告出稿先に渡す」というのが曽根のメインの役割だった。ヤフーとの取り組みが大きく違ったのは、バナー広告のほか、ヤフーの検索ボックスに入力した文字がそのまま広告に引き継がれる、今でいう「検索連動型広告」の仕組みで、アマゾン・ドット・コムとYahoo! Inc.の間ではすでに取り組み実績があった。

米国での連携と同じようにサイト上にHTMLソースを組み込んで広告表示して連携したのだが、なぜかうまくいかない。それもそのはず、当時アマゾン ジャパンが使っていたコードはShift-JIS(内部コードはUTF-8だったが変換して出力していた)、ヤフーはEUC。記述する文字コードが異なっていたのだ。

解決すべく社内で関係各所に要請するも、エンジニアリングの追加工数確保は容易ではない。一方Eコマースサイトの開発は予定通り進み、2000年11月1日にアマゾン ジャパンのサイトはローンチ。曽根の担当だったオンライン広告、ヤフーとの検索連携については解決しないままローンチから数日が経過した。

文=石井節子/福光恵 構成=石井節子 写真=帆足宗洋

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