野口は、「イノベーションが社会に直接寄与したところ、テクノロジーがめきめきと社会を便利にしていくのを目撃できたことが、アマゾンで働く醍醐味のひとつだった」という。
「とにかく、新しいことをやると、自分の努力がカスタマーの利便に直結して手応えがあった。それまで手に入らなかったものが手に入るものになる。テクノロジーが問題を解決する。確実に社会が豊かに、便利になる。どんな会社に勤めても必ずそうなるわけではないですからね」
また、何をするにつけても数字を根拠にすることも叩きこまれたという。数字やデータなしのドキュメントや議論はまったく相手にされない。テレビコマーシャルを長い間打たなかったのも、「Cost Per Click(1クリック獲得にかかるコスト)」ではなく、アフィリエイト・プログラムに代表される「Cost Per Acquisition(1顧客獲得にかかるコスト)」を重視したためだったという。
曽根は、「インターネットを象徴する文化、時代の潮流を利用し、関連企業をどんどん買収していくそのエネルギーがすごかった」という。
金融の畑から未練げもなくすっぱり方位転換したベゾスの生き方、そしてビジネスモデルそのものがかっこよかったし、何より好きだった、と。また、ベゾスの未来を見通す目と意思のブレなさはやはり群を抜いていた、とも回顧する。
「ネットの商売のメリットは、デジタル商材やユーザー行動の物理的運動量が上がって行くと『ベキ乗則』が働いて、利益もうなぎ昇りに上がること。しかし、書籍のプロダクトマージンは低いため、固定費率は下がるが、簡単にはベキ乗則は働かない。それでも『書籍でオンラインストアを』と決めて突っ走ったジェフ・ベゾスはやはりすごいです」
べゾスを陰で支えた天才たち
当時のアマゾンには、各専門分野を極めた粋ともいえる人材たちが何人もいたそうだ。曽根が回想する。
「ローンチ直前、フロントエンド(ユーザーと直接やりとりするソフトウェアシステムの部分)、バックエンド(フロントエンドへの出力を生成する部分の商品データベース)ともにシアトルからサポートの部隊が来日し、渋谷のオフィスで仕事していました。とくにフロントエンドのマーク・スヴェンソンという195cmのイケメンは、天才デベロッパーでした。そして、バックエンドはテッド金森。彼はとことんロジカルでスクエア。ローンチのカオスの中、そのピカイチの能力でどんな問題も最終的にはなんとかしてくれるドラえもんみたいなナイスガイだった」
シアトル本社にももちろん天才はいた。たとえば当時のサイトURLの作り方には「思想が感じられた」と曽根はいう。
「サイトを動かしている『オビドス』、『amazon.com/exec/obidos』というURLはものすごく整合性のある動きをするし、ローカライズもしやすかったので、さまざまな国に展開できたんです」
ちなみにこの「オビドス」を書いたのは、アマゾン・ドット・コム第1号社員、シェル・カプラン。日本でも、「ヘルス&ビューティー」のローンチの頃、「groopa(gp)」というURLにリプレイスされるまでは継続的に使われていた。「オビドス」以外にも貢献が大きいこの天才エンジニア、カプランは、現在では「シェル・カプラン・ファウンデーション」を立ち上げ、社会貢献の分野で功績が小さくない。