マリインスキー劇場は、オペラとバレエを専業とする、いわゆる歌劇場である。ただ、この「歌劇場」という訳語は、どうも実態をうまく表していないのではないかと、常日頃から思っている。
ことに、欧州の歌劇場は劇場だけではなく、オペラを上演するための合唱やオーケストラをはじめとする音楽スタッフ、美術部、技術部、衣装部、、さらにはマーケティング、ファンドレイズ、ファイナンスといった機能を抱えるアドミニストレーション部門、を含む、会社と同じような組織を指す言葉なのだ。
持っている劇場も実は1つとは限らない。組織が一緒なら、いくつかの劇場や舞台がまとまって1つの歌劇場を構成していることも多い。現在は、世界的な指揮者ゲルギエフが総裁を務めるマリインスキー劇場も、サンクトペテルブルグとウラジオストクの2カ所に拠点がある。
サンクトペテルブルクには本館、新館の二つの劇場とコンサートホールがあり、ウラジオストクには沿海州劇場という支部になっていて、プリモルスキーと名付けられた別の劇場を擁する。
マリインスキー劇場がロシアを代表する歌劇場である理由はその歴史にある。サンクトペテルブルクの本館は、1783年にエカテリーナ2世の勅命でつくられた世界遺産にも登録されている劇場で、バレエであればチャイコフスキーの「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」、オペラであれば同じくチャイコフスキーの『スペードの女王』やムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』などが初演された場所なのだ。
ロシアにも同じ恩返しの寓話が
今回、『夕鶴』はウラジオストクの劇場とサンクトペテルブルクのコンサートホールで、演出付きの演奏会形式、原語である日本語で歌われ、それに字幕が付くかたちで上演された。指揮者、ソリストはもちろんのこと、オーケストラや児童合唱団まで、総勢約120名が日本からロシアに行き、公演を行った。全3回の公演すべてがスタンディングオベーションの大成功だったという。
この公演でメイン・キャストの与ひょう役を務めたテノール歌手の小原啓楼さんに話を聞くことができた。話していくと、興味深い話が次から次へと広がった。
まず、私には、実際のところ本当にロシアの人たちは『夕鶴』を理解してくれたのか? また、手前味噌な公演ではなかったのか? という疑問があった。
小原さんによれば、『夕鶴』の公演はロシア国内でも話題で、彼自身も国営放送などからインタビューを受け、それが放送されたりしたそうだ。また、公演の客席は、ロシアにいる在留日本人で埋められていたということもなく、現地のロシアの人たちばかりだったとのことだ。