では、ロシアの人たちは本当に『夕鶴』を理解して、スタンディングオベーションで讃えたのだろうか? 拍手は、はるばる日本からやってきた人たちへの「ご褒美」だったのではなかろうか? 小原さんは何度も日本で『夕鶴』を演じているので、その辺りの反応の違いもわかるのではないかと考えた。
小原さんたちは、実は上演前に懸念していたことがあったのだという。それは、ロシアにも同じような金魚が主人公の恩返しの寓話があり、それがハッピーエンドなので、悲劇で終わる『夕鶴』に納得してくれるかどうか案じていたという。
しかし、その心配は杞憂に終わった。ラストが近づくにつれ、客席からはたくさんのすすり泣きが聞こえ、舞台の上から感じる観客の反応も、日本で『夕鶴』を演じた時とまったく変わらなかったという。いや、むしろ、よりストーリーに入り込んで、楽しんでくれていたと感じたそうだ。
そもそも、オペラの醍醐味は、たとえ、それがどうでもいいような筋立てであっても音楽の説得力、音楽による感情描写に人々が共感し、オーディエンスが深い感動を得ることにある。
團伊玖磨の音楽と、それを真摯に表現した公演メンバーの力で、音楽の説得力が会場を支配したということであったのだろう。やはり日本のオペラはもっと世界で評価され、海外で上演されてもいいのではなかろうか。
小原さんも、オペラ『夕鶴』がヨーロッパでも通じる、日本の作品も十分本場でも通じる、と心からの実感を得たという。そこで、『夕鶴』以外にも海外で上演可能な日本のオペラに何があるか話すと、遠藤周作原作、松村禎三作曲の『沈黙』が真っ先にあげられるだろうということで意見が一致した。
実は、『沈黙』を、海外で上演するべきであると思っているオペラ関係者はとても多い。音楽的には少し難しいかもしれないが、20世紀最大の宗教小説とも言われる原作で、理解しやすいストーリーだ。何とか実現できないものだろうか。
喜劇で笑い、悲劇で大泣きする方がいい
面白かったのは、「むしろ、ロシアの観客のほうがより感情移入して『夕鶴』を見ていたのかもしれない」という小原さんの感想だ。これは、観客のオペラの観賞方法にも起因するのではないかと思う。日本では、どうもオペラはお行儀よく見るものという意識が高すぎるように思うのだ。
欧米でオペラを観ているとわかることだが、喜劇では声を上げて大笑い、悲劇では客席は大泣きだ。オペラは、教養としてではなく、激しく感情を揺さぶられるために観に行くものだから、日本の観客ももっとリラックスして観賞してもいいのではないだろうか? もちろん、それを実現するためには、上演する側のクオリティが大いに問われることも忘れてはならないが。
先日、子供たちも入場自由のコンサートで、『ドン・パスクワーレ』のおかしなシーンが、演出も歌手も素晴らしく演じられ、彼らの笑い声が会場に響きわたっていた。
それに対して、大人たちはしかつめらしい表情で、笑いをこらえて、そのシーンを見つめていた。もっと笑ってもいいのにと思ったものである。オペラも映画などと同じ、エンターテインメントだということを忘れているようなのだ。