──6月には漫画家、相原実貴(あいはらみき)原作の『ホットギミック──ガールミーツボーイ』が公開されます。この作品に込めた思いについて教えてください。
今回の作品では、映画オリジナルの副題として “girl meets boy”という、恋愛物語の代名詞として使われる “boy meets girl” を反転させた言葉をモチーフにしています。
この副題には「女の子が自分自身の主体性を奪還する」という意味を込めています。今回の作品を作る上で、女の子が自分の主体性を見失い損なわれてしまうような10代の恋愛体験としてではなく、自分の主体性の在り処を女の子自らが探す冒険としての10代の性愛を描けないか、という思いが根底にありました。
現在の女性向けティーンズムービーは男性監督によって制作されたものがほとんどで、せっかく沢山の十代の女性が実際に映画館まで足を運ぶようになったものの、彼女たちは自分たちの性別・世代に対して、これまでの時間の中で反復して描かれてきた女性像を内面化する形で受け入れてしまっている現状があります。
そのため、今回私は作品を提示する側の責任として、映画の在り方について「本当にこれでいいのだろうか?」と自分自身に問いつつ、彼女たちにとっての映画とのあるべき出会い方をイメージしながら撮りました。
──山戸監督の作品は「女の子」をテーマにした作品が多いです。山戸監督にとっての「女の子」とは何ですか。
あるテーマに対して、女の子が、きらめくモチーフであるように心がけています。私は「女の子」という言葉は「女性」や「少女」などの言葉とは違い、自分自身の性別を生まれて初めて自認するきっかけを作るものだと理解しています。
女性に自我が芽生えてから、「あなたは女の子だから」と反復されることで、10代より若い時期から、「自分は性別における特殊性を持った存在である」と言うメッセージを受け取り、「性別におけるマイノリティー」としての自認を刷り込まれていく現状があると考えています。
そのようにして、自分自身が女性であると生まれて初めて名指されるのが「女の子」という言葉とも言えるのではないでしょうか。
──山戸監督にとって映画を作る「原動力」は何ですか?
私は学生時代に、女子学生の割合が高い大学に通いながら、女性の友人や知人の魅力に自然に気付きやすい環境にいました。周りにいるそうした個々を撮りたいとまっすぐ感じられたことが、私の映画作りのきっかけだと思います。
目の前の身体・肉体を見て、そこからフィクションの光景が湧き出すというのはインスピレーションに満ちた体験で、そのような体験が生まれる瞬間を映画に落とし込まなければいけない、そう思うようになりました。
被写体は実際の作品作りにおいても重要で、例えば脚本段階では起承転結で定型つけられたものであっても、いざ演技が始まったときにその人が演じているからこそセリフ・カメラのポジションが変わるといったことがあります。そのような「一回性」を経験すると、それは世界そのものの在り方に似ているな、という感覚を抱きますね。