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2019.03.21 18:00

「7万円の器量」懐を痛めてようやく学べること|小山薫堂


「和室」は最近のマイブームでもある。京都に縁ができ、茶会や座敷での会食が多くなったのもあるが、ふとしたことで読んだ谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に衝撃を受けた。電灯がなく、自然の闇や室内の蝋燭のほのかな灯を利用することで、建築や照明、食器や食べ物、能や歌舞伎の衣装に至るまで美意識が行き届いていた時代。それはつまり思想そのものでもあるのだ。

コンビニに象徴されるように、現代日本は隅から隅まで明るくはっきりと照らし出されているし、すべての価値が◯か×かで示される。でも、古の日本には闇と光の間の濃淡があった。◯か×かではなく△の世界、曖昧さ、遠慮というものがあった。それをいま大事にしようと思うと、和室というものが欠かせないのではないか。茶室などはその最たるもので、ただ正座をして花やお軸を愛でたり、隣接する庭を眺めたりするだけでも、そういう大切な感性が鍛えられる気がする。

見る目を養うには?

京都の新門前に「梶 古美術」という古美術商がある。京都に暮らすようになってよかったなと思うのは、そういう店の主人と仲よくなれること。和の学校、目利きの学校みたいなもので、出されたお茶をいただきながら「この釉薬はここが特徴なんですよ」などと、さまざまな骨董品の見方を教えてもらえる。僕はまだ学びの途中なので、「いつか大きな買い物をします」と約束しつつ、まだ何も購入していなかった。

そんなある日のことだ。梶さんの店は魯山人の扱いが多いのだが、「見てみますか」と奥から魯山人の織部の壺を持ってきた。大きさは40cmくらいで、「ロ」というサインもある。「魯山人作」と箱書きをしている番浦史郎は、魯山人の孫弟子なので、これは間違いなく本物だ(と素人は思ってしまう)。

梶さんは「釉薬の感じからすると魯山人だが、ちょっと疑わしい」と思ったそうだが、あえて購入したという。価格は破格の18万円。そしてずっとそばに置き、眺めて眺めて眺め尽くして至った結論は、「これは偽物だと思う」だった。

「だからこの壺は魯山人として店で売るわけにはいかない」と言うので、僕は「だったら僕に譲ってくれませんか」と尋ねた。エピソードとしては抜群に面白い、と思ったからだ。梶さんが快く了承してくれたので、いくらで譲ってくれるか重ねて尋ねると、「私は18万円で仕入れたから、小山さんには7万円で譲ります」という。この壺には勉強させてもらった。その勉強代を引いた差額の7万円なのだと。

もし僕が梶さんだったら、偽物だと思っても安くは売らないだろう。せめて買った値段で売ると思う。それを「勉強代」といって懐を痛める姿勢、学びを身体に刷り込む姿勢に、僕はあらためて心を打たれた。そういう姿勢こそが、ものを見る目を養うということなのだろう。

数日後、僕が主人を務める下鴨茶寮にその壺が届いた。荷札の「魯山人織部壺」に驚いた経理担当者が電話をしてきて個人で買ったかを確認し(当然です)、続けて値段を尋ねるので、「7」と答えたら「700万ですか! ひえー!」と卒倒しかけた。

社員との忘年会でも値段を当てさせたのだが、裏をかいていちばん安く答えた人でも30万円だった。僕は梶さんの教えに対して7万円の授業料を払ったつもりなので、この壺を誰かに受け継ぐときにはタダで譲りたい……と言いたいところなのだが、まだ僕にはそんな器量はない(笑)。


小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都造形大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。エッセイ、作詞などの執筆活動のほか、熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わっている。

イラストレーション=サイトウユウスケ

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