米インディアナ「ツタが覆う球場」の元祖を訪れる至福の瞬間

リグリー・フィールド(getty images)

リグリー・フィールド(getty images)

昨年の夏、100回目を迎えた全国高等学校野球選手権記念大会で盛り上がった甲子園だが、この球場名物の一つといえば、外壁を覆うツタだろう。2000年、日本高校野球連盟に加盟している全国4179校に甲子園のツタの苗木が贈られ、各学校の生徒たちが育てることになった。

一方で、2007年の大規模な改修工事のため、甲子園のツタは、一時的に伐採された。そして、改修工事が終了した2008年の第90回大会の際、ツタの苗木が贈られた高校のうち、生育に成功した233校が甲子園にツタを持ち寄り、植樹し、里帰りさせた。

ツタに入ったボールは二塁打!

アメリカにもツタで有名な球場がある。1914年に開場したシカゴのリグリー・フィールドだ。甲子園のツタは、1924年の開場当時と共に、球場の外壁に植え付けられたが、リグリー・フィールドで初めてツタが植え付けられたのは1937年9月のこと。意外にも、現存するメジャーリーグの球場の中で二番目に古いリグリー・フィールドよりも、甲子園の方がツタの歴史が長いのだ。

甲子園の外壁に対して、リグリー・フィールドは外野のフェンスにツタが植えられた。このため、試合中に外野フェンスのツタの中にボールが入り込むことがある。この場合、外野手が手を大きく挙げてアピールすると、特別ルールで二塁打になる。これは、昨年5月、カブスのオーナーのトム・リケッツ氏にリグリー・フィールド内を案内していただいた際に、直接聞いた話だ。

ある日、強い打球がそのフェンスを直撃した。すると、ツタの中からボールが2個飛び出し、外野手はどちらのボールがホンモノか分からず、困ったという。


外野のフェンスをツタが覆う「リグリー・フィールド」

リグリー・フィールドのツタは一般向けに販売されたことがある。1979年のことで、1鉢あたり1.5ドルのツタが計2500鉢売れたという。

そもそもこのツタは、後にインディアンズ、ブラウンズ、ホワイトソックスのオーナーを務め、球界に革命を起こしたアイデアマン、ビル・ベックが提案したことに始まる。ベックは、リグリー・フィールドでピーナッツ売りをしていた頃、インディアナ州インディアナポリスにあったブッシュ・スタジアムを参考にして球団に提案したところ、これが受け入れられ、ツタが植えられるようになった。

1931年の完成から2012年の解体まで…

そのブッシュ・スタジアムは1931年に開場。1931年から1996年までマイナー・リーグのインディアナポリス・インディアンズ、1944年から1950年までニグロ・アメリカン・リーグのインディアナポリス・クラウンズが本拠地にしていた。

クラウンズは、1950年、1951年、1952年、1954年に優勝した強豪球団で、1952年にはハンク・アーロンが在籍していた。クラウンズ在籍時、アーロンがバットのグリップをクロスハンドで握っていた(右手と左手を逆にグリップを握る)ことは有名だ。

他にも、ニグロ・アメリカン・リーグのピッツバーグ・クロフォード(サチェル・ペイジやジョシュ・ギブソンが在籍したニグロ・リーグ史上最強と言われる伝説の球団)がインディアナポリスに移転してインディアナポリス・クロフォーズとなった1940年、この球場を使用したことがある。

開場当初は、オーナーのノーム・ペリーの名を冠して、ペリー・スタジアムと呼ばれていたが、1942年に第二次世界大戦にちなみビクトリー・フィールドに改称。1967年にインディアナポリス市に売却され、1955年から1969年まで社長で地元インディアナポリス出身のドニー・ブッシュの名に冠してブッシュ・スタジアムになった。この球場は、映画「エイト・メン・アウト」や「プリティ・リーグ」の撮影にも使われた。

1996年、インディアンズがダウンタウンに完成した新球場ビクトリー・フィールドに移転したため、ペリー・スタジアムは、野球場としての役目は終えた。1997年から2年間は、オート・レース場、2008年から2011年まではトレード・カーの駐車スペースとして使用され、2012年に取り壊された。
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編集=Forbes JAPAN 編集部

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