しかしやはり、歌手を育てるということについては、アメリカのシステムはうまくできている。
コンクールと並んで若手の登竜門として機能しているオペラ団体のヤング・アーティスト・プログラムは、優秀な若手の歌手に対して、「研修しながら給料も払う」という仕組みになっている。
たとえば大西さんが所属していたリリック・オペラ・オブ・シカゴのライアン・オペラ・センターのプログラムは年収を開示して歌手を募集していて、所属歌手には4万4500ドル(約500万円)が支払われるとされている。そのほかに保険などもカバーされる。もちろん無料で、研修所の歌のレッスンや演技のコーチングが受けられる。また、多くの舞台経験や本番の経験も用意されていて、業界で生きていくためのスキルや人脈を養うこともできる。
ふつう研修所といえば、お金を払って所属するか、よくて奨学金で無料、といったぐらいしか想像されないだろうが、こういったプログラムは真逆。レッスンを受けながらお金も十分にもらえるのだ。
リリック・オペラ・オブ・シカゴ(elesi / Shutterstock.com)
こうしたトップクラスの若手歌手が所属するプログラムのオーディションには、当然、全米から希望者が大挙して押し寄せる。ヨーロッパの歌手をもひきつける。また最近では、韓国人や中国人も名乗りを上げ、有名プログラムで東洋人の顔を見ないことはなくなってきた。
日本人はヨーロッパ志向が強いためか、米国ではなかなか見かけない。大西氏はシカゴ・リリックのプログラム所属した始めての日本人だし、同じく有名なサンフランシスコ・オペラのプログラムに所属した歌手も重松みかさん一人だけ。その他メトロポリタン・オペラのプログラムなども人気だが、まだ日本人は一人も入っていない。
アメリカならではの文化事情
さて、なんでこうした研修所がわざわざお金を払ってまで若手の優秀な歌手を確保するのだろうか? それはアメリカのオペラ団体の生業に理由がある。
アメリカのオペラ団体は、政府からの助成金がほとんどなく、4〜6割近くの収入を寄付に頼っている。寄付を集めるには社会的な意義が必要だ。アメリカのオペラ団体の多くは非営利団体として、文化芸術の普及啓蒙活動をその活動目的に掲げている。
すると、地域との連携も欠かせない。となれば勢い、アウトリーチ(地域での奉仕活動)に力が入る。アウトリーチを行うにあたっては、さまざまな要望にこたえられる、スケジュールにも柔軟性のある歌手を確保することが欠かせない。
また、チケット収入も団体の予算の3割程度を占める大事な収入源である。公演を成功させるためのプロモーションにも演奏は欠かせず、アウトリーチと同じように柔軟性のある歌手が必要になる。これらの役割を担うのが、育成プログラムに所属する歌手なのである。