2008年の世界金融危機やテクノロジーの急速な進歩、経済構造の変化を背景に、伝統的な経済学への不信論が吹き出す。次世代を担うビジネスパーソンが知るべき未来を見通すための「いま」の経済学とは。初回は、2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーに独占インタビュー。
41階。霞がかった朝の都内が一望できるホテルのレストラン。リチャード・セイラー教授は時間通りに現れた。一緒にボックス席に着席して、なんとも豪華な朝食が始まった。
2017年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学教授のセイラーが来日する─。何のコネクションもなかったが、日本でぜひインタビューさせてほしいとメールを送ると翌日、快諾の返信が来た。
セイラーの専門は行動経済学。12年に同じくノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらと共にそれまでの合理的で自己の経済的利益を最大化する「エコン」のモデルから、時に非合理的でバイアスを持つ「ヒューマン」を基にした新しい経済モデルを作り上げた。
当初、異端扱いされた行動経済学だが、セイラーを含めて3人のノーベル賞受賞者を出し、学部レベルの経済学の教科書でも触れられるほど市民権を得るようになった。現在では金融市場や政策にも応用され、ここ数年、日本のビジネス書籍でも人気のトピックだ。
これまでのセイラーの奮闘の様子は『行動経済学の逆襲』(早川書房)に詳しい。日本の次世代を担うビジネスリーダーが行動経済学から何を学べるのか。セイラーの口から直接聞けるのは幸運以外の何物でもなかった。
朝食はビュッフェ形式で、セイラーが最初に手にしたのはシリアルだけ。フルーツと焼きたてのパンがこんもり載った私の皿とは対照的だ。皿から目を上げると、「私はもう一回取ってくるから」とセイラーが言う。私が「あなたはサンクコストを気にしないのかと思いました」と言うと、セイラーは愉快げに笑って朝食を食べ始めた。
サンクコストは行動経済学が解き明かしたヒューマンが陥るバイアスの一つだ。例えば、ビュッフェ代金は既に払っているので、その後に食べた量は経済学的には損得に関係ない。しかし、私のようなヒューマンはついつい取りすぎて食べすぎてしまう。
セイラーの本ではテニススクールの例が出てくる。会費を払ったからと腕を痛めているのに行き続け、腕をさらに悪くして余計に医療費をかけてしまうというなんとも切ない話だ。エコンなら陥るはずのない非合理的な行動だ。
これらは「よくある話」のようだが、長らく経済学では研究の対象外として排除された現象だった。ヒューマンが行うバイアスに満ちた変則現象(アノマリー)は限定的で、経済理論としてはエコンを基にしたモデルが長年正しいとされてきたからだ。
しかし、ヒューマンの行為は決して限定的ではなく系統的に予測できる傾向だとしたら? これまでの経済学に真っ向から歯向かうような考え方だった。異端児と呼ばれながらセイラーは論文を発表し続け、経済学のパラダイムシフトを引き起こすきっかけとなった。