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アイリス創業者の沖山 翔

ユニークな医師がいる。

彼が学生時代の教授回診で感じた「モヤモヤ」と向き合えたのは、東大医学部卒業後、人口500人の沖縄の離島でドクターヘリに乗り、船医として活動した1年間だった。

気づいた「残酷な」医療格差と戦うべく、帰京後に「アイリス」を創業。目指すは深層学習を利用し、医師全員で「匠の技」を共有するパラダイムの構築だ。

中でも起業後第一弾のインフルエンザ診断支援システムでは、「隠れインフル」が静かに引き起こしているパンデミック解消を狙う──。


大学卒業後5年間は、東京と離島、両方の救急医として勤務していました。その後はメドレーという医療ベンチャー企業で、医療分野における正しい情報提供の仕組みづくりに取り組みました。今の会社を立ち上げる前、1年間は、フリーランスの医師として活動していました。今でも週末だけ、救急の現場に立っています。

救急医を選んだのは、自分にも身近な家族にも重い医療体験がなかったからなのかもしれません。子供のころ接していたお医者さんは町のクリニックの先生でした。どんな病気でもすぐに診断して対応してくれる、そんなお医者さんは当時の自分から万能感をもって見え、憧れていました。

救急医も一言で言えば、「広くなんでも見る」ドクター。浅くても広く、様々な病状に対応することで患者さんと向き合い、そのような形で医療に関われることに幸せを感じていました。

卒業後4年目の1年間は、沖縄の石垣島と、日本最南端の有人島である波照間島で、ドクターヘリに乗って急病人の救助に行ったり、島の診療所で診療をしたりしていました。離島の方が、東京の救急よリも広い知識を求められます。まさに、毎日が勉強という環境。プレッシャーも学びも、どちらもが充実した日々を過ごしました。

教授回診で覚えた違和感

医学部の学生だった頃、私は漠然とした違和感を抱えていました。回診の際、教授が入院患者の所に来て、「おはようございます、どうですか」と一声をかけたきり、後は患者さんにお尻を向けて、ぐるりと囲んだドクターたちに、「この患者さんの病状を説明しなさい。プレゼンを」とミーティングを始める姿です。担当ドクターは、報告内容によっては、患者さんの前で教授に叱られることもあります。

それを見ると患者さんは、「自分の主治医が、自分のせいで教授に叱られている。自分はいけない患者だ」と思ってしまうんですよね。医療は本来、患者さんのためにあるはずなのに、矛盾を感じずにはいられませんでした。当時まだ学生の立場だったからこそ、その違和感がより強く印象に残ったのかもしれません。医療に対して漠然と抱いていた違和感を、明確に意識しはじめたのはそのときでした。

研修医時代にも解消できなかったそのモヤモヤを客観視して、それに取り組もうと思えるようになったのは、離島医の1年間があったからです。

沖縄の病院では、9時から5時までの外来シフトが終わると、5時からはフリー。当直も少ない。「自分はどのような医療が理想だと思っているのか」「どうすればその理想に向かえるのか」、こういった問いかけに対して、腰を据えて自分の考えを深められた1年だったんです。

構成=石井節子

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