米国の金融教育では、国民性も関係しているかもしれないが、まずは貯金について教えていくケースが多い。
子供とお金の出会いはお小遣いであったり、プレゼント選びであることが一般的かと思われる。その際に、子供たちはお金を使うことで欲しいものが買えることを学ぶ。そこで大事なのは、お金には価値があり、自分が持っているお金の量は、自分が欲しいものを全て買う金額よりは小さい事を認識させることだ。
たとえば、お年玉で1000円の臨時収入があったとしよう。お菓子とゲームソフトが欲しい場合、すぐにお菓子を買ってしまうのか、我慢して貯めてゲームソフトを買うのか。この「我慢して貯める」ことによって、貯金をするという概念を教える。そして、そのお金を貯金箱に入れるのか、タンスにしまうのかなどという議論の中で、銀行という存在、更にはその役割なども教えていく。
この状況で貯金の概念や銀行の役割を教えるのは、既に日本でもありそうな話であるが、米国の教材で興味深いのは、さらに踏み込んだ概念も教えていくところである。
欲しいものはたくさんある(無限性)が、持っているお金は限られている(希少性)という概念をしっかりと理解させた上で、選択を促す。お菓子を買ってしまえば、ゲームソフトは買えなくなる。お菓子を我慢すれば、ゲームソフトが買えるようになる。片方を選択すると「機会費用」が生じることも教えている。実際に子供向けの絵本の中では「opportunity cost」という単語を使っている。
これはまさに大学生が経済学の最初の授業で学ぶような内容だが、驚くことに米国では小学校低学年の子供に教えているのだ。
日常生活に溶け込んでいる金融
前述の内容を子供達に教えている米国は進んでいると思う一方で、この内容自体は日本でも誰もが幼い頃から現在に至るまでずっと体験していることだろう。金融や経済学は難しいという印象があるかもしれないが、実は私達は日常生活の中で常に金融や経済学の知識に基づいた行動を無意識のうちにとっている。
つまり、金融の知識があることで、これまで無意識で行っていた行動の質が高まるとも言えるのである。
海外の文献では、7歳頃までにお金周りの習慣は確立され、年を取れば取るほど、その習慣は修正できなくなっていくという意見もよく目にするようになった。やはり、日本でも小学校から金融教育を実施し、子供たちがよりよい人生を送っていけるようにすべきではないか。
【連載】0歳からの「お金の話」
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