米国人は、直近の状況への拒絶反応として新たな大統領を選ぶ傾向がある。例えばフランクリン・ルーズベルトは、大恐慌に圧倒されたハーバート・フーバーとは違い、経済を再び活性化させられる現実的な人物として支持を得た。アイゼンハワーは長年にわたり傑出したキャリアを積んでいたが、1960年までには旧態依然な人物とみなされ、後任には若さと端麗な容姿をもつジョン・F・ケネディーが選出された。
変化を求めるのは米国らしい考えであり、ドナルド・トランプが当選した理由でもある。トランプは、自分を単刀直入で率直、大成功を収めた実業家として売り込んだ。彼は既存体制の粉砕を公約に掲げ、それを実現させた。大統領就任から1年たった今、彼の支持率は40%以下と低いままだ。
変化を待ちきれない人にしてみれば、オプラは夢の大統領候補のようにも見える。オプラは、自分が勝って相手を負かす駆け引きであるトランプの「米国第一主義」から疎外されていると感じる人たちを代弁しているのだ。
自分自身も貧しい家庭で育ったオプラは貧困を知っている。テレビスターの彼女はメディアを理解しているし、数十億ドル規模の事業の経営者としてビジネスも理解している。そして “聴く人”として人間を理解している。
彼女は優秀な女優でもあり、アカデミー賞にもノミネートされている。ロナルド・レーガンが伝記作家のルイス・キャノンに対し、俳優にならずに大統領になれる人などいないと語ったのは有名な話だ。キャノンの著書名が『President Reagan: The Role of a Lifetime(レーガン大統領 一生涯の役)』となっているのもそのためだ。
レーガンが言いたかったことは、大統領の仕事の多くは人前にさらされるということだ。ジョージ・ワシントンが公人としての役どころを理解していたように、レーガンはこの役をどう演じるかを理解していた。大統領は発言や行動、その存在を通して過去、現在、そして未来の可能性を最高の形で体現しなければならない。
オプラは、その役を演じられるだろうか? 今後に注目しよう。