そもそもチョコレートに関心がなかった成田を変えたのは、「原生のカカオというピュアな素材を収穫してバナナの皮に包んで発酵させる」という原始的な生産過程だ。原生種の菌とカカオ豆を使い、誰も食べたことのない品質の高い豆をつくろう。そのためにも適切な発酵の工程をしっかりとカカオ農家に伝えよう。そう考えた成田は15年、カカオ農場の視察兼発酵方法の伝授のためにパプアニューギニアのマヌス本島を訪れる。
とはいえ、太古の文化が残る国での「価値づくり」は、そう簡単ではない。東京やニューヨークのような都会と違って、島には「必要以上のものをつくって売る」という発想が存在しないからだ。
そんな島の現状を変えようと試みる人物がいる。政府が設立したカカオ豆などの研究機関「Papua New Guinea Cocoa coconut Institute. Ltd」のカナ・ポールだ。マヌス本島で生まれ育ったポールは、EUの奨学金を受けて英国の大学で教育を受けたエリートだが、「故郷を豊かにするのが、高等教育を受けることができた自分の使命」という思いを抱いて戻ってきた。
例えば、ランブーチョ島には病院がなく、学校も8年生(中学2年生相当)までしかない。医療や高等教育を受けるためには、どうしても現金が必要だ。そこでポールは「ラパトナ・プロジェクト」を立ち上げる。ラパトナとはランブーチョ島を中心とするラパトナ諸島のこと。その諸島で育てているカカオに、収穫が簡単な低木となるよう品種改良を行った交配種をクローンとして接木し、20年までの5年計画で収穫量を5倍に増産する、という計画である。
勝算はある。16年、カカオ豆の一大産地である西アフリカの天候不順により、価格が平常時の1.5倍に跳ね上がった。経済成長を続ける中国やインドの消費の拡大も価格高騰をさらに助長。アメリカのチョコレートメーカーであるマース社は、「20年にはカカオ豆の消費量に対し、生産量が100万トン不足する」と発表した。いわゆるカカオ不足による「2020年問題」だ。
だが、島民からは「大量にカカオをつくったとして、そもそもそれが売れるのか」と疑問視する声も上がった。実際、彼らには苦い経験がある。ランブーチョ島は生産量が少ないため、めったに大口の注文が来ない。一度大手メーカーから大規模な発注があったものの、島中のカカオ豆を集めてマヌス本島に届けたら、輸出用の船はすでに出航したあとで、一銭の収入にもならなかったのだ。
プロジェクトはラパトナ諸島の村人が協力し合わないと意味がない。途方に暮れていたポールが出会ったのが、マヌス本島に来ていた成田だった。ポールはプロジェクトの詳細を説明し、「次回はラパトナ諸島に来てもらえないか」と誘った。州屈指の良質なカカオ豆を実際に目で見てもらうのと同時に、「有名シェフからの引き合いがある」と村人を説得しようという算段もあった。
成田の招聘が決まると、自治体側も積極的にポールに協力。ラパトナ諸島の首長パトリック・パレックは自らボートの舵を取って成田を本島まで出迎え、民族舞踊グループの祝いの舞で歓迎した。島随一の集会場にはカカオ農家100人近くが集まり、盛大なセレモニーが行われた。「前回(マヌス本島)とは、島の人の本気度が違う」と成田は心底驚いた。
翌日、ランブーチョ島の発酵槽には島中から大量のカカオ豆が集まり、「発酵の手順を教わりたい」と多くの村人がやってきて、成田が行う工程を固唾をのんで見守った。大人だけではない、学校を終えたカカオ農家の子どもたちが鈴なりになって発酵の様子を見物に来る。ひときわ熱心に眺めているカカオ農家の娘・マーシャ(14歳)は「島の学校を卒業したら、両親のカカオ栽培を手伝うの。学費を稼げたら大学に入って、環境学を学びたいんだ」と夢を語った。プロジェクトの成否は、子どもたちの夢の実現にも関わっているのだ。
発酵デモンストレーションの最終日、成田は集まった村の政治家やカカオ農家に、あえて厳しく声をかけた。「最初から大量のオーダーが来るとは限らないが、発酵はカカオ農家の仕事の一部という意識を持ってほしい」