ランブーチョ島で育てられているのは、中南米原産の高級品種のクリオロ種に、丈夫で収穫量も多いフォラステロ種を交配したトリニタリオ種の独自品種だ。クリオロ種由来の香味を持つ高級品種で豆の品質も良いが、古くからの産地でないため知名度が低く、交通の便も悪いため、大量生産のチョコレートバー用の原料として1kg数百円という価格でしか評価されない。それを「発酵」という魔法で、世界と戦える豆にしようというわけだ。
「今回は買う。だが、追加発注した際にちゃんと発酵できていなければ、もう買うことはない」。成田はもう一度、集まった村人たちを見回した。「逆に、いまよりさらに品質が上がれば、もっと高い価格で買おう」
その夜、ラパトナ諸島の村会議員であるスティーブン・ラピープは成田が寝泊まりする宿泊所を訪ね、「ラパトナ諸島の首長パレックの許可を得て、希望するカカオ農家全員に自治体の負担で発酵トレーニングを無料で行うことを決定しました」と告げた。成田の言動が、変わらないとされた島の人たちの心を劇的に動かしたのだった。
デザートにも健康対策が必要とされる時代
健康志向から、ノーカーボ、ノンシュガーの食生活を選ぶ人もいる時代。今後は「おいしさ」は大前提として、薬膳のように予防医学的な健康対策という視点もデザートには必要になるだろう。その視点から見ると、ランブーチョ島のカカオポリフェノールを多く含むトリニタリオ種は多くの人に選ばれるはずだと成田は考えていた。
パプアニューギニアのカカオ豆が使われているデザートの数々。右上の写真は、デザート専門店「エスキス・サンク」の店内の様子。
「育てやすいトリニタリオ種のカカオ豆に発酵の技術を加えることで、高品質のカカオ豆を生み出せることが広く認知され、安定的に高値で取引をされていけば、2020年問題の原因といわれる収益の高い作物への転作やカカオの耕作放棄に一石を投じられるかもしれない。ひいてはカカオ豆不足にも一定のストップがかかることになるのではないでしょうか」
新しいカカオ豆を使ったチョコレートは、現在シェフ・パティシエを務める3店のデザートに使われている。また、10月28日にはパリのサロンデュショコラで発表されるチョコレート・コンテスト「CCC(Club des Croqueurs de Chocolat)」で銀タブレット(銀賞)を受賞。太古の自然が息づくランブーチョ島のカカオ豆がチョコレートの本場フランスで「新しい価値」として受け入れられた。成田の熱き闘いにこれからも目が離せない。
成田一世◎1967年、青森県生まれ。パリの「ステラ・マリス」、フィレンツェの「エノテカ・ピンキオーリ」、NYの「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」など星付きレストランでシェフ・パティシエを務める。2012年に帰国し、銀座「エスキス」のシェフ・パティシエに。17年の「アジアのベストレストラン50」で、個人賞部門「アジアベストパティシエ賞」を受賞。