今回は、F=Future(未来)について(以下、出井伸之氏談)。
「空にある月は何故落ちてこないのか」木から落ちるりんごを見てニュートンは考えた。
ここから彼は、地球が物体を引きつけているだけではなく、質量を持つ全ての物体同士がそれぞれ相互に引き合うことで、宇宙全体がバランスを保っていることを発見。これをきっかけに、力学と天文学を一つの体系にまとめあげ、著作「プリンキピア」を公表した。
これは1687年の「ニュートン力学」誕生の瞬間であり、これまで築き上げられた力学、物理学、天文学の世界が全部まとめて変革された、自然科学史の大事件であった。ここが古典物理の出発点となり、産業革命を経て人間社会のシステムが一変した。
このように大変化の出発点となるニュートン的発想が、現代にも求められているように感じる。近い将来、AIが人類の知能を超える優れたレベルに進化し、我々人の能力では制御できなくなる時点「シンギュラリティ」が、人間社会のターニングポイントになるだろう。最近、こういった議論が非常に盛んに行われている。
進化する科学と人がつくる世界
シンギュラリティが起きた後の世界はどうなるのか。人間とサイエンスはうまく共存するという楽観論と、進化により人間の役割がAIに取って代わられるという悲観論が飛び交っている。
しかし、これまでの人類の歴史において、思考の選択や直面する環境が一つの極論に向かって突き進むようなことは、長い時間軸で見たときにほぼ存在していない。複数の極論の間を揺れ動いた末に、その中の最も現実的な中間点に最終的に落ち着くことがほとんどだ。極端な楽観論でも、極端な悲観論でもない、リアリズムの先にある「第三の道」に進むことが、これまで繰り返されてきた現実なのである。
前回の「E、Emotion」でも書いたが、人間の感情や自己保存能力はAIと相反するものだと思うが、人間と科学は、双方バランスのとれた社会システムを構築していかなくてはならない。シンギュラリティを迎えたときの基本的な考え方を、事前に熟考して準備する必要がある。
科学技術と調和したまちづくり、サイエンスと企業や社会の関係、資本主義、倫理観など、考えることは山ほどあるが、このシンギュラリティの存在を前提にもっとより深い議論をしていくべきだろう。のんびりと先送りをしているほど時間はないかもしれない。