今回は、D=Dalida。国境を超えフランス人を魅了した歌姫ダリダに共感した背景にあるものとは(以下、出井伸之氏談)。
先日、海外出張での機内で、フランス駐在時代を思い出させる映画を観た。今年フランスで公開され興行成績2位を記録した映画「Dalida」だ。1イタリア系の移民として、1933年にエジプトの首都カイロで生まれ、のちにフランスに帰化した歌手ダリダの一生を描いた作品である。
ダリダは、幼少期にかかった目の病を手術で克服したことがきっかけで自らの美しさに磨きをかけ「ミス・エジプト」にも選ばれた。その美しさをフランスで生かそうと女優を目指し渡仏。しかし、エジプトからきたよそ者に対する風当たりは厳しく、やっと花開いたのは歌手に転身した20代前半だった。彼女のイタリア訛り独特の発音と、溢れんばかりの美しさにフランス中の男性が熱中した。
しかしプライベートではうまくいかず、愛した男性がことごとく自殺。彼女自身も自殺未遂を図ったが、自分を表現できる歌に全身全霊を注ぎ、歌い続けた。歌手としてはフランスで大成功を収めただけでなく、イタリアやエジプト、さらにアメリカなど世界を周り、幸せの絶頂にあるとメディアに言わしめた。その一方、「Je suis malade(病の果てに)」という曲を歌い、自ら精神病であることを告白。本人は虚ろな存在であると度々口にしていた。
そんな二つの側面を持つ彼女に、私は心惹かれている。フランス駐在中に、一度だけダリダが出演したオランピア劇場でその歌声を聴いたことがある。ポップミュージカルやシャンソン歌手のコンサートが上演されるこの劇場は、フランスで「音楽の聖地」と呼ばれている。最初の自殺未遂後、ダリダの歌と彼女の生きざまに恋をした多くのフランス人が、この劇場に溢れる異様な熱気に酔いしれていた。衝撃的だった。その後年、彼女は苦悩のうちに自殺し波乱に満ちた生涯を54歳で閉じた。
なぜこれほどまでにダリダがフランス人の心を魅了するのか。その答えは、彼女の自信と脆さという二面性、そして彼女の歌にある。ダリダ特有のアクセントは、国境を超える強さを、そして、彼女の感情むき出しの歌詞は人生とは何かを人々の心に訴えてくる。だからこそ死後30年経ったいまも、彼女の歌は国境を超え人々の心の深みに触れ共感される。
1960〜1970年代、エジプトから来仏し女優や歌手を目指した彼女に向けられた目は相当厳しいものだったろう。しかしダリダは、誰に何を言われようと意志を貫き、世間の目を恐れず自分をさらけ出した。フランス人はその姿に心を打たれ、彼女の歌に涙し、拍手を送った。そして私もそのうちの一人だ。彼女の生き方は、多くのファンの生き方に多大なる影響を与えた。
フランスの心を知り、こじ開けていった
私が、ダリダに共感するのはフランス駐在時の経験があったからだ。階級社会が色濃く残るヨーロッパ、さらに日本に対し門を閉じていたときに私はフランスにいた。いくつもの壁が立ちはだかり、「この街にどうやって切り込めばいいのだろう」と、エッフェル塔を眺めながら幾度も思った。