日本企業の直接投資が許されなかった時代、数年かけて試行錯誤のすえ、ソニーフランスを立ち上げた。製品販売の規制から、発想を工夫し、やっとの思いでシャンゼリゼにソニーショールームをオープンさせた。このように、ひとつひとつ、強固なフランスの扉をこじ開けていった。これは、エジプトから来たダリダが徐々にフランス人の心に入っていったことと似ているのではないか。
盛田昭夫さんの著書「メイド・イン・ジャパン」に記載されている一文がある。
──フランスにわが社の販売会社を作るのには非常に苦労をした。それが実現するまでの苦しい二年間の“戦い”の間に、出井はよく冗談に言ったものだった。「フランス女と手を切るのがこれほど難しいものとは知りませんでしたね」──
ローマ法に起源があるヨーロッパの法というのは、アメリカと違って、法律をより「人と人との約束」のようにとらえる節がある。だから、契約の条項が終わったとしても、その「スピリット」だけが継続するということがままあるのだ。
私も盛田さんご自身もソニーフランスの経験からそれを実践的に学び、グローバライゼーションの多様性というものを理解した。
成熟した国における個と組織
日本は十分に成長し、すでに成熟期に入っている。一方、私が駐在していたとき、フランスは「個」の成熟が感じられる国だと感じた。成熟とは、個が独立して立ち、意思を解き放てる存在だ。その個が集まって、国があると。一方、日本は企業や国という組織の中に「個」がある。日本もフランスのように、それぞれの「個」が成熟していかなければならないと思う。
なぜなら、成熟からは「寛容」が生まれるからだ。フランスでいくつもの扉をこじ開けた経験から見えてきた真のフランスの姿は、成熟した個に裏打ちされた、寛容的社会でもあった。つまり、自身の「個」を際立たせることは、他人の「個」を許容することに等しい。そこは、人々がより幸せを感じやすい、心豊かな場所であったとも言える。
国境を超えた歌姫ダリダは、強烈な「個」というものをさらけ出し、フランスはそれを受け入れた。個と組織。そのバランス感というものを、私はフランスという国での経験を通じて学んだ。
次回、Eに続く。