「人間と機械の境界線はますます曖昧になる」と、大阪大学大学院の石黒浩教授は言う。
彼はこう問う。「取材に来る多くの人はロボットに危機感を抱いているのですが、なぜロボットと人間を比べるのですか?では、人間と動物の違いは何ですか?」
技術? 研究室でそう答えると、彼はこう話す。
「そうです。ロボットなど機械や技術は、大前提として人間と切り離せない。例えば、能力だけを見ると、人間はチーターのように速く走れないし、イルカのように泳げません。だけど、道具という技術を使うことで、宇宙にも深海にも行ける。技術を切り離すと、人間は人間でなくなります」
そうして人間がつくり出した最高峰の技術が、ロボットであり、優れたロボットが人間の暮らしに溶け込んだ社会が来るというのだ。
次に、人間とロボットとのコミュニケーションについて、石黒の経験と実験を聞こう。石黒は三菱重工がつくったコミュニケーションロボット「ワカマル」を大学のゴミ捨て場に捨てたことがある。大学の備品は研究内容の流出を防ぐため、規則として鍵がついた廃棄場に捨てなければならない。
ルールに従って老朽化したロボットを捨てたところ、学生が写真を撮り、「どうしてこんなことになったんですか?」と、ツイッターに投稿した。すると、大学に「かわいそうだ」という苦情が殺到したのである。まるでペットや人間の死体をゴミ捨て場に遺棄したかのような騒ぎだったという。
「活動するヒト型ロボットは、すでに“社会的な人格”を持っている」と、石黒は自著の『アンドロイドは人間になれるか』に記している。
ロボットに「心」がプログラミングされているわけではない。だが、相対する人間の方が自分の個人的なイメージを投影してしまうのである。
人がロボットに心を感じることを、すでに石黒は「ワカマル」を使った演劇で経験している。劇作家・平田オリザに協力したアンドロイド演劇もそうだ。カフカの『変身』のように、ある朝、主人公が目を覚ますと、虫ではなくアンドロイドになっていた。慌てふためく主人公と、その家族。最後に主人公は、「もう電源を切ってくれ」と言うが、家族は主人公をロボットと見ていないため、スイッチを切って「死なせる」という行為ができない。