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ビジネス

2016.05.19 10:00

「羽田ーアメリカ直航便」はなぜ遅れてきたのか

Adam Hester / gettyimages

今年2月に行われた日米航空交渉で、昼間時間帯(午前6時〜午後11時)の羽田-アメリカ直行便の開設が合意され、10月のダイヤ改正から実現の予定だ。

羽田-アメリカ直行便はこれまで、深夜早朝時間帯(午後11時〜午前6時)に限って8往復(日本の航空会社4、アメリカの航空会社4)が認められていた。

これが今後は、昼間時間帯に10往復(日本5、アメリカ5)、深夜早朝時間帯に2往復(日本1、アメリカ1)となる。この変化は表1にまとめてある。羽田空港再国際化の難しさ、深夜早朝時間帯と昼間時間帯の区別がなぜ必要か、羽田-アメリカ便の昼間時間帯の開設がなぜ他地域に比べて遅れたのか、という解説から航空行政の難しさを理解してもらいたい。
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議論開始は10年前

2006年秋。5年半続いた小泉純一郎政権を引き継いだ(第一次)安倍晋三政権の政策づくりがはじまっていた。その改革のひとつに、羽田空港の4本目の滑走路建設と再国際化プランがあった。それまでは、1978年開港した成田空港が国際線、羽田空港が国内線というすみわけが決まっていた。一部、台湾、ソウル、北京路線は羽田空港を使用したが、欧米、東南アジア、オーストラリアなどへの路線は成田発着に限定されていた。

しかし、日本への投資の呼び込み、観光客増加の決め手として、都心に近い羽田空港から国際線を飛ばそうという計画が持ち上がった。羽田発着の需要は大きいことが予想され、経済への波及効果も大きいと予想された。

さらに供給側でも、4本目の滑走路ができると、羽田空港の発着枠に余裕ができること、今後の日本国内の人口減少により国内線市場の縮小が予想されることから、国際線に振り向けることができる枠の増大が予想された。

羽田再国際化のひとつの大きな理由は、「成田空港が首都・東京のみならず日本全体の主要空港としては機能していない」ということがある。60年代後半、成田空港の初期構想段階では、新幹線を敷設、都心と15分でむすび、滑走路3本を擁する、当時としては世界に冠たる主要空港として機能するはずであった。しかし、50年後のいまも、その構想は実現していない。

羽田再国際化の議論が始まると、産業界は賛成であるものの、いくつかの反対論があきらかになった。最大の反対が、羽田国際化によりビジネスを奪われると危機感を持つ成田空港から起きるであろうことは十分に予想された。しかし、成田空港が、そのビジネスの既得権を主張するには、いまだに機能が不十分であるという弱点があった。そこで、われわれが経済財政諮問会議で展開した羽田再国際化議論の切り札は「成田空港の深夜早朝時間帯に国際線を飛ばすことは、成田空港を補完するものであり、ビジネスを奪うことにならない」。これにより、まず羽田発着の深夜早朝便については、欧米を含めて行き先に制限を設けない、という原則が確立した。これが、現在にいたるまで、2つの時間帯を分けて議論していることにつながっている。

つぎの争点は、昼間時間帯であった。羽田の4本目の滑走路建設時で発着枠が拡充されるときに、国内線需要だけでは余る枠に限り主要な国際線に振り向けることで、国内・国際の連絡をよくすることは、首都圏のみならず国内各地からの乗り換えの利便性を高め、日本全体に国際化の恩恵を与えるというものであると論じた。

現在の中国人観光客が日本全体にいきわたり、“爆買い”需要が盛り上がっていることに寄与したことでこの議論が正しかったことがわかる。当初、「近距離国際線に限るべき」と国土交通省は主張したが、「距離で行き先を限定するのは空港の有効利用につながらない」という主張で、これも押し切った。

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伊藤隆敏 = 文

この記事は 「Forbes JAPAN No.22 2016年5月号(2016/03/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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