マイクロソフトは今年で創業50年を迎える。ビル・ゲイツはこの節目にあたり、マイクロソフト誕生に直接貢献したあるソースコードを共有した。
一方、メリンダ・フレンチ・ゲイツが2人の結婚生活の破綻についての個人的な思いを吐露する回顧録がまもなく刊行される。
「私が書いた中で最もクールなコード」
ビル・ゲイツは自身のブログ「ゲイツ・ノート」に、デジタル史の一部ともいえるコードを公開した。そのコードとは、ゲイツとポール・アレンがソフトウェアへの情熱をたぎらせるきっかけになったマシン、Altair 8800のために作った最初の製品、Altair BASICにほかならない。「私が書いた中で最もクールなコード」とゲイツは呼び、印刷されたオリジナル版をトロフィーのように捧げ持った写真も公開した。
すべては1975年1月、『ポピュラー・エレクトロニクス』誌がAltair 8800を表紙に取り上げたことから始まった。MITSという小さな会社が開発したこのコンピューターこそが、ゲイツとアレンの想像力に火をつけた。当時まだ19歳、ハーバード大学の学生だったゲイツと幼なじみのポール・アレンはMITSに連絡を取り、Altair 8800のチップ上で動作するプログラミング言語「BASIC」が用意できたと主張した。
ゲイツはこう書いている。「問題がひとつあった。実際には言語なんか、用意できていなかったのだ」。
野心と期限に突き動かされた2人は、公言してしまったソフトウェアを作るために2カ月間ひたすらコーディングした。最終的にMITS社にそれを提出すると、同社はコードのライセンス供与に同意。こうしてAltair BASICは、生まれ出ずる企業、「マイクロソフト」初の製品となった。 ゲイツは言う、「 “We later dropped the hyphen."(私たちは後からハイフンを取り除いたのだ。)」。
この瞬間こそがいみじくもマイクロソフトの礎となり、私たちが知る現代のコンピューティングを形作ったのだ。今、ゲイツは誇りにあふれて来し方を振り返る。「コンピューター・プログラミングのこの50年間は長い道のりだった」と彼は書いている。「しかし私は、その50年の結果立ち現れた現在を非常に誇りに思う」。
テック史を愛する同時代人は、ゲイツのブログからAltair BASICのオリジナルコードをダウンロードすることができるし、Altair BASIC開発のいきさつについては、ゲイツの著書『Source Code: My Beginnings』に詳しい。