日本と30℃の気温差のシンガポール、チャンギ国際空港。コロナ明け初めての訪問だった。無意識に気分が重くなる。入国審査のうっとうしさを思い浮かべたからだ。小一時間はかかるだろう。ところが、現実には20分ほどで手荷物も受け取り、タクシー乗り場に来ていた。そういえば事前にウェブ登録を済ませていた。パスポート読み取り機の簡単な操作は1~2分で良い。入国係官との問答など不要。デジタル化の効用を実感した。
かの地は、DBS銀行のデジタルバンキングの先進性でも世界的に有名だ。さすがだなあ、と感心していると、同行の友人に冷やかされた。「去年一緒に行ったロンドンのヒースローも同じだったじゃないか、忘れたのかい?」。便利さという代物はすぐに慣れてしまうものなのかもしれない。帰国時の羽田もいたって簡単だった。Visit Japan Webでパスポート情報から免税申告まで事前入力していたので、降機から京急の駅まで15分ほどだった。国内線と大差ない。
デジタル化、とくにAIの活用に関する見方は楽観論、悲観論に大きく分かれる。
日本でも世界でも楽観論のほうが優勢だろう。人間の行う作業量が劇的に減るだけではなく、正確性やスピードが著しく向上するからだ。出入国や貿易などの外ー外も、日常の仕事や買い物、納税などの内ー内も飛躍的に効率化され、人間の生活はますます便利になる。
半面、デジタル化やAIの台頭は社会格差を拡大し、その便益は一部の「勝ち組」に独占されて、そうでない人々は勝ち組と機械に支配されるディストピアに陥るとの悲観論も根強い。ノーベル経済学賞受賞者のダロン・アセモグル教授は、歴史的視点から技術革新の負の側面を分析し、昨今のデジタル革命に警鐘を鳴らしている。
恐らく答えは両者の中間にある。大切な点は、技術革新はあまねく人類全体に均霑すべきというスタンスを堅持しつつ、負の側面に対する監視を怠らないことである。進歩とけん制のバランスが重要であり、政府の役割はそこにあると思う。
南国から戻ってほどなく、寒波が居座る日本国内の工場見学の機会を得た。雪景色の広大な敷地には白梅の花が一分咲きだった。人気の少ない建屋の内部は隅々まで磨き上げられている。製造ラインが幾何学的に整然と並び、伝統的な工場に見られるパイプや滑車、はしごは見当たらない。フロアにいる人間は数人だった。SF映画の1シーンかと見まがう。AIもフル活用しており、人手は5年前の数分の一以下、コストが劇的に下がったという。生産性の向上も目覚ましく、途上国の工場より効率的でコスト競争力があるそうだ。長期計画が完了すれば完全無人化が可能になる。「地域活性化の観点から、多少は人間も雇わなければなりませんがね」。工場長が困惑気味に呟いた。