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起業家

2025.04.04 10:30

米飲食業界の革命児「チポトレ」、その創業者が「異端のビリオネア」と呼べる理由

チポトレの創業者のスティーブ・エルズ・2004年撮影(Glen Martin/The Denver Post via Getty Images)

「料理界のハーバード大学」出身の起業家

エルズはもともと、大衆向けにブリトーやタコスを作って金持ちになることを目指していたわけではない。製薬業界の重役を父に持つ彼は、コロラド州で育ちコロラド大学ボルダー校で美術史の学位を取得したのちに、「料理分野のハーバード」と呼ばれる世界最高レベルの料理大学、Culinary Institute of America(カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ、通称CIA)に進んだ。

その後サンフランシスコに移った彼は、2000年代初頭に閉店した伝説的なレストランStars(スターズ)の副料理長として働いた。そして現地の「タケリア」と呼ばれるメキシコ風軽食店に刺激を受けた彼は、自身のタケリアを開こうと思い立ってデンバーに戻った。だがそれは、彼の本当の夢である高級レストランを開業するための資金を稼ぐための手段だった。

1993年にオープンした最初のチポトレは、奇妙な名前に限られたメニュー、独特のカウンター形式、高めの価格設定という風変わりな店だった。タコベルが59セントのブリトーで人気を博した時代に、エルズの店のブリトーは4ドル以上もした。

「客たちは、店のドアを開けて頭を突っ込んで覗いたかと思うと、くるっと回って出ていった」と、彼は昨年6月のウォール・ストリート・ジャーナルのイベントで語った。「誰も理解してくれなかった」

だが、ファストフードのスピードで質の高い食事を提供するというエルズのアイデアは、しばらく経つと受け入れられ、高級レストランの夢を早々に捨てた彼は、1995年に2号店、1996年に3号店を開店した。その2年後には16店舗にまで拡大したが、さらなる成長のためには資金注入が必要だった。

「私たちは、レストラン業界に特化したベンチャーキャピタルや投資銀行などの13社に事業計画書を送ったが、そのすべてに断られた」と、父親のボブ・エルズは2015年のブルームバーグに語っていた。

そして、その当時に買収を積極的に進めていたマクドナルドが投資を決定した。同社は、まもなくチポトレの過半数を保有するに至ったが、それでもエルズは経営を続け、店内調理による新鮮な食材の使用を守り続けた。

数年後、マクドナルドはコア事業に集中する方針へと舵を切り、2006年1月にチポトレを上場させ、その後の9カ月で91%の持ち分のすべて売却した。当時のチポトレの時価総額は約20億ドルだった(この91%の持ち分は現在620億ドル相当になっている)。

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編集=上田裕資

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