今回提案されている新関税は、ブルゴーニュやバローロの高級ワインだけに適用されるわけではない。1本12ドル(約1800円)のピクプール・ド・ピネや15ドル(約2300円)のモンテプルチアーノ、街角のオイスターバーで人気のプロセッコなど、米国で日常的に飲まれている低価格のEU産ワインにも適用される。これらのワインがもし市場に出回らなくなったり、価格が高騰したりしたら、その穴を埋めるのはナパの高級ワインではなく、添加物を含んだ缶入りカクテルやビールになる可能性が高い。あるいは、アルコール飲料ですらないだろう。
しかも、ここまで挙げたのはEUが報復措置を取らないと仮定した場合のリスクにすぎない。現実には、EU産ワインに関税をかければ、ほぼ間違いなく米国製品への報復が待っている。バーボンをはじめとするアメリカンウイスキーや米国産ワインだ。これらも隔絶した市場で流通しているわけではない。
米国の生産者も小売業者も、ソムリエや消費者もみな、脆弱で相互依存的なエコシステム(生態系)の中で活動している。米国人がこのエコシステムの中で声を張り上げ、増税で言いなりにしたり関税引き上げで壁を築いたりすることで「勝てる」と考えるのは、間違いであるだけでなく、経済的な自殺行為だ。
米ワイン産業が今必要としているのは、投資、レジリエンス(回復力・適応力)、顧客リーチであって、人為的な優位性ではない。米国には、よりよい流通インフラが必要だ。気候変動による農業再編が進む中で、意味のある持続可能性支援が必要だ。若い消費者がワインを買えなくなるような政策ではなく、いろいろなワインを試してみようと思える政策が必要だ。そしてもちろん、米国産ワインが堂々と最高品質の欧州産ワインと渡り合えるようにしなければならない。欧州産ワインを棚から追い出すことによってではなく、それと比肩する地位を築くことによって。
これこそが産業を成長させる方法である。ものをいうのは関税ではない。卓越性だ。