環境再生によってネイチャーポジティブを促進させ、それ自体が経済的な価値を生み出し、地域の持続性に寄与していく。世界に誇れる共創プロジェクトに光を当てる「Forbes Japan Xtrepreneur Award」にノミネートされた、三重県尾鷲市発の新しい地域経営について紹介したい。
2024年11月30日から2日間、三重県尾鷲市で、ネイチャーポジティブ経営と環境再生の重要性を共に学び、考える「尾鷲ネイチャーポジティブアクション会議」が開催された。
初日にまず向かったのは、尾鷲市内の「みんなの森」。樹齢60年を超えるスギとヒノキが並ぶこの市有林は、戦後の拡大造林施策によって植林はされたものの、手入れが滞り、近年の台風や大雨のたびに倒木が増えるなど、やや荒れた状態にあった。
当初は、泥が水流を停留させ、熊野灘に注ぐ川の水脈が寸断されていた。環境活動家の坂田昌子さんを迎え、これまで延べ720人が水脈を掘り、泥を掻き出し、「しがら」という枝を複雑に絡ませた隙間に落ち葉を詰めて、水の流れをゆっくりにすることで泥の流出を防ぐ日本古来の伝統土木の作業を続けてきた。
重機を使わず、人の手で水脈を掘り出し、泥だらけだった場所に沢の流れができた。作業道によって沢が分断されていた箇所は藁、石、落葉を敷き詰めて、水も車も生き物も通れる道をつくった。林は、戻った流れを堰き止めている小さな溜池の底に手を伸ばし、準絶滅危惧種のアカハライモリを捕らえ、見せてくれた。

「信じられないかもしれませんが、ここには水も流れていませんでした。作業を繰り返すうちに、かつては広葉樹が茂り、美しい沢が流れていたという確信とともに、その風景が頭に浮かびました。一緒に作業した人は、同じように感じたと思います。そうした身体感覚を持つことで初めて、自分にできることを考えるようになると思うんです」(林)
総面積の92%が山林におおわれている三重県尾鷲市は、日本でも有数の多雨地帯として知られる。熊野灘の沖合を流れる黒潮が暖かく湿った空気を運び、紀伊山地を昇って雲となり、雨となって森や里山を巡り、海へと還っていく。そうした循環が、尾鷲の豊かな森や海を育ててきた。

森に目を向ければ、年輪が密で光沢のある美しい木肌と優れた耐朽性をもつ「尾鷲ヒノキ」は、産地銘柄材として知られる。人工林の日本三大美林ともいわれ、伝統的技術が継承されている尾鷲ヒノキ林業は、日本農業遺産に第一号に認定された。海に目を向ければ、穏やかな海面に青いルリスズメダイが目視で見えるほど澄み、ウミガメが優雅に泳ぐ姿に出会えることもある。そもそも尾鷲市九鬼町は戦国時代に織田信長方の水軍として名を馳せた「九鬼水軍」発祥の漁師町で、特に昭和初期にはブリ漁で潤った。
「林業や水産業といった人の営みを大切にしながら、そうした一次産業を支える自然や生態系を自分たちの手で回復し、自然資源の利用による地域経済の活性化と、森の再生による環境保全を同時に進めていく。さらに、一次産業と生物多様性の両立を通じて新しい価値を創出し、地域経済と連動して持続発展させることを目指しています」(林)

