聖火ランナーに選出、そして社長に
──実際に代表を承継されたのは、400周年を迎える2020年ではなく2021年でしたが、1年遅れた理由は?
実は、2020東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれ、地元の福山市を走りました。オリンピックがコロナ禍で1年延期されたので、代表の引き継ぎもそれに合わせて1年後になりました。
弊社のように、古くから続いている菓子屋は、菓子を作って売るだけではなくて、地域文化を担っている意識があります。2013年頃から地元の学校や公民館のほか、瀬戸内海の離島、山間部の限界集落などに出向き、和菓子教室を開くようになりました。聖火ランナーは公募ですが、地域活動が評価されて選ばれたと聞いています。

「非効率」な和菓子の意味とは

──2021年に社長に就任し、まず取り組んだ会社の変革は何でしょうか?
従業員の働き方を見直し、残業時間や有休消化率を改善しました。また、職人それぞれに頼っていた菓子作りの基本部分をマニュアル化しました。こうしたことを実現するため、赤字経営を黒字にしなければならないので、直営店ばかりに頼っていた販売は、百貨店カタログなどの外販にも力を入れるようになりました。
さらに、新しい店の形態として、神辺店をオープンキッチン併設の店舗にしました。ワークショップなど開いてインスタグラムに載せているので、地元の方々が頻繁に使ってくれるようになりました。地域コミュニティの巻き込みを図った店舗を、今後展開していくつもりです。
──逆に、変えずに守り続けていることは?
中秋の名月の十五夜団子のように、短期間しか売らない菓子があります。私は3年間ほどビジネススクールで勉強したこともあり、非効率だからやめようと父に提案しました。父は「非効率かもしれないが、菓子屋に季節感がなかったらつまらない店になる。やめてはいけないものだ」と叱られました。確かに言う通りだなと思いました。
また、熨斗紙は今も手書きです。私が入社した時、時代遅れだと感じたことの一つでしたが、やはり手書きがいいですね。すべて現代風に変えるのが必ずしも良いことではないと、だんだん分かってきました。
「ベテランのおばあちゃん」がいる理由
──「せとうち和菓子キャラバン」という取り組みについて教えてください。
10年ほど前から、学校や町内会などに出張して和菓子づくり教室を開いています。家族や学校では、節句や中秋の名月などで伝統文化をつむぐ機会は減っていますが、それをフォローするつもりでやっています。
教室は、離島でも山の上でもどこでも行きます。瀬戸内の過疎化が進む島で教室をしたり、島特産の食材を利用したお菓子を商品化したりする試みが「せとうち和菓子キャラバン」です。和菓子を通じた持続可能な社会へのアプローチです。
またJICA(国際協力機構)などからの依頼で、外国人向けのWEB教室も開催しています。和菓子とセットで、平和や文化について学び合ういい機会になります。