事業承継総合メディア「賢者の選択 サクセッション」から紹介しよう。(転載元の記事はこちら)
“野鍛冶”の精神を掲げて116年続く刃物メーカー
──貝印の歴史について教えてください。貝印は、岐阜県の関市で1908年に創業しました。関市は、鎌倉時代から数多くの有名な刀匠を輩出し、日本刀作りで栄えた町です。
しかし、武士の世だった戦国から江戸、明治時代へと遷り変わっていくなかで、刀鍛冶たちは包丁や農具などの身の回りの刃物を作る「野鍛冶」へと転身していきました。
そんな“刃物のまち”で、私の曾祖父・遠藤斉治朗がポケットナイフの製造から事業をスタートさせたのが、貝印の始まりです。
1932年、当時は輸入品が主流だったカミソリの替刃に着目し、初めて国産の安全カミソリの替刃製造を開始しました。1945年には、私の祖父である2代目・遠藤斉治朗が後を継ぎ、カミソリに加え、包丁やハサミ、爪切りなどあらゆる刃物の製造へと事業を拡大していきます。
1977年に海外法人を設立し、1984年に医療分野に進出するなど、徐々に成長・発展してきました。今では、身だしなみを整えるもの、キッチン周りで使われるものを中心に、1万点を超える商品を扱っています。
──製品別の売り上げはどのようになっていますか?
2023年の製品カテゴリ別の売上構成比は、包丁が25%と最も高く、カミソリが17%、スポーツナイフが16%、医療器が11%、ハサミ6%、爪切り5%と続いています。
──刃物作りでは、どんなことを心がけていますか?
「野鍛冶」から始まった会社ですから、生活者のニーズに真摯に耳を傾けて刃物を作る「野鍛冶の精神」を掲げています。
商品開発の方針は、具体的には「DUPS3」という考え方です。デザイン性(Design)、独自性(Unique)に優れ、特許に値し(Patent)、安全(Safety)でストーリー(Story)があり、持続可能(Sustainability)である商品を具現化する━─それぞれの頭文字を取った「DUPS3」を意識した新商品を提供する。私たちが常に心がけていることですね。
小学生高学年で芽生えた「後継者の自覚」
──36歳という若さで事業を承継していますが、経緯を教えてください。
1989年に祖父が亡くなり、父が社長に就任しました。当時、幼稚園児だった私は、岐阜県関市から千葉県に引っ越しました。小学生低学年の頃は後継者という意識は持っておらず、自由に過ごしていたと思います。
それが、2つ上の姉が中学生になるタイミングで岐阜県に戻ることになり、小学校5年生からは再び関市での生活が始まりました。「後継者」というのを意識したのはその頃かもしれません。
関市は“刃物のまち”で、貝印は地元の大企業です。「貝印の長男」という周りの目は、どうしても意識してしまいます。プレッシャーというわけではありませんが、どこかで「家の名前に泥を塗るわけにはいかない」と感じていました。