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2024.12.30 14:15

後継者の自覚は小5から 「刃物の聖地」老舗・貝印が描く未来

岐阜県・関市は、ドイツのゾーリンゲン、イギリスのシェフィールドと並んで「刃物のまち」と称され、世界に名を馳せている。刃物メーカー「貝印」(東京都千代田区)は、関市で創業し、100年以上にわたってカミソリや包丁・ナイフなどを製造・販売してきた。2021年5月に4代目社長に、36歳の若さで遠藤浩彰氏が就任した。創業家の長男として生まれた遠藤氏がどのように事業を引き継いだのか、どんな思いがあったのか──知られざる道のりとこれからのビジョンを聞いた。
 
事業承継総合メディア「賢者の選択 サクセッション」から紹介しよう。(転載元の記事はこちら

“野鍛冶”の精神を掲げて116年続く刃物メーカー

──貝印の歴史について教えてください。


貝印は、岐阜県の関市で1908年に創業しました。関市は、鎌倉時代から数多くの有名な刀匠を輩出し、日本刀作りで栄えた町です。
 
しかし、武士の世だった戦国から江戸、明治時代へと遷り変わっていくなかで、刀鍛冶たちは包丁や農具などの身の回りの刃物を作る「野鍛冶」へと転身していきました。
 
そんな“刃物のまち”で、私の曾祖父・遠藤斉治朗がポケットナイフの製造から事業をスタートさせたのが、貝印の始まりです。
 
1932年、当時は輸入品が主流だったカミソリの替刃に着目し、初めて国産の安全カミソリの替刃製造を開始しました。1945年には、私の祖父である2代目・遠藤斉治朗が後を継ぎ、カミソリに加え、包丁やハサミ、爪切りなどあらゆる刃物の製造へと事業を拡大していきます。
 
1977年に海外法人を設立し、1984年に医療分野に進出するなど、徐々に成長・発展してきました。今では、身だしなみを整えるもの、キッチン周りで使われるものを中心に、1万点を超える商品を扱っています。

──製品別の売り上げはどのようになっていますか?
 
2023年の製品カテゴリ別の売上構成比は、包丁が25%と最も高く、カミソリが17%、スポーツナイフが16%、医療器が11%、ハサミ6%、爪切り5%と続いています。
 
──刃物作りでは、どんなことを心がけていますか?
 
「野鍛冶」から始まった会社ですから、生活者のニーズに真摯に耳を傾けて刃物を作る「野鍛冶の精神」を掲げています。
 
商品開発の方針は、具体的には「DUPS3」という考え方です。デザイン性(Design)、独自性(Unique)に優れ、特許に値し(Patent)、安全(Safety)でストーリー(Story)があり、持続可能(Sustainability)である商品を具現化する━─それぞれの頭文字を取った「DUPS3」を意識した新商品を提供する。私たちが常に心がけていることですね。

小学生高学年で芽生えた「後継者の自覚」



──36歳という若さで事業を承継していますが、経緯を教えてください。

1989年に祖父が亡くなり、父が社長に就任しました。当時、幼稚園児だった私は、岐阜県関市から千葉県に引っ越しました。小学生低学年の頃は後継者という意識は持っておらず、自由に過ごしていたと思います。
 
それが、2つ上の姉が中学生になるタイミングで岐阜県に戻ることになり、小学校5年生からは再び関市での生活が始まりました。「後継者」というのを意識したのはその頃かもしれません。
 
関市は“刃物のまち”で、貝印は地元の大企業です。「貝印の長男」という周りの目は、どうしても意識してしまいます。プレッシャーというわけではありませんが、どこかで「家の名前に泥を塗るわけにはいかない」と感じていました。
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