西暦536年、地球に深刻な事態が生じた。太陽が陰り、作物が育たなくなり、生態系は崩壊寸前だった。色を失った不気味な空、季節外れの降雪、大飢饉について、ローマと中国で、当時の学者たちが文献を残している。
現在の我々には、西暦536年が地球の歴史の大きな分岐点になったことがわかっている。以降、地球上の生命に大きな影響を与える出来事の連鎖が10年以上にわたって続くことになり、生き物たちは、適応するか死ぬかを迫られた。
西暦536年に目撃された、謎の「太陽の死」
始まりは、とてつもない噴火だった。学術誌『Geophysical Research Letters』で2008年2月に発表された研究によると、グリーンランドと南極大陸で採取された氷床コアから、この時期に大量の(火山性)硫酸塩が堆積した証拠が見つかっている。
西暦536年の破局的異常気象について、科学者たちは、高緯度地帯(アイスランドやアラスカの可能性がある)における火山の噴火が主要因ではないかと考えている。この噴火が気候崩壊の連鎖を誘発して、後にこの年が、「生きるのが最も困難だった年」と呼ばれるようになったというのだ。
536年の噴火からまだ5年も経たない西暦539年か540年には、エルサルバドルのイロパンゴ火山も噴火した。2つめの大噴火で、地球規模の寒冷化はさらに進み、長期化した。
イロパンゴ火山の噴火では、DRE換算体積(Dense Rock Equivalent:噴出物を溶岩と同じ比重にしたときに相当する体積)のマグマ噴出量で約44立方kmが噴出した。悪名高き「夏なき年」の原因になった1815年のタンボラ山(インドネシア)噴火に匹敵するものだ。
イロパンゴ火山の噴火によって、近辺にあったマヤ文明の居住地がいくつも破壊され、一瞬にして何万人もの人が亡くなり、集団移住を余儀なくされた。
イロパンゴ火山の噴火による「ティエラ・ブランカ・ホーベン(TBJ)火山灰層」は、中央アメリカに広がった。エルサルバドル沿岸沖の海底堆積物にも見つかっていることからも、広範囲に及んだことがわかる。
わずか数年前の西暦536年の詳細不明の噴火も合わせた、2つの噴火の影響の累積で、地球全体の気温は摂氏2度も急降下した。
太陽の光が地表に届かず、光合成に一気にブレーキがかかり、不作が各大陸に広がった。食物連鎖は完全に崩れた──海ではプランクトンが減少し、陸上植物が枯れ、草食動物は生き延びようとあがいた。
一貫した季節のサイクルをあてにしていた生き物からすると、不都合で済む話ではなく、存在そのものを脅かされた。渡り鳥は渡ることができなくなり、昆虫は激減した。地中の微生物でさえも、想定外の冷却を受けて代謝を減速させた。生物圏全体が衰退したのだ。
続く大飢饉:切迫するサバイバル
大型のほ乳類は、食料不足が危機に直結した。人間社会には、穀物不足で飢饉が拡大した。アイルランドの年代記には、「パンのない年」が3年続いたという記録がある。
さまざまな野生動物も、同じように打撃を受けた。