このトラは2つの国を恐怖に陥れ、その足跡には死と絶望が残された。そして、1907年にようやく射殺されたときには、仕留めたハンターの心に変化をもたらした。このトラを仕留めたジム・コーベットは後に、人食い動物の追跡者から自然保護論者に変貌を遂げたのだ。
しかし、1頭のトラがどのように悪名高い存在になり、軍隊をかわし、インドの野生生物保護の方向性を変えることになったのだろうか?
「恐怖の時代」は、狩りの失敗から始まった
物語は1890年代後半、ネパールの森から始まる。のちに仕留められたインドの村の名を冠して呼ばれることになるトラが人食いトラになったのは、自らの選択ではなく、絶望的な状況に置かれた結果だった。生息地の破壊と獲物の減少により、トラはすでに大きな生存圧力にさらされていた。追い打ちをかけるように、おそらくはハンターの銃弾によって上顎と下顎の犬歯を失い、通常の獲物を狩ることができなくなった。
この負傷は、耐えがたいほどの痛みを引き起こしただけでなく、トラを絶望的な状況へと追い込んだ。その結果、このトラが生き延びるための唯一の手段が、野生動物より動きが遅く、見つけやすい獲物、つまり人間を狩ることとなったのだ。
人食いトラの襲撃は、ネパールの小さな村々から始まった。当初、村民たちの犠牲はそれぞれ別の悲劇だと考えられていた。しかし、犠牲者が増加するにつれて、恐怖が急速に広がっていった。後述するが、人食いトラが軍隊に追われてネパールを去ったとき、すでに200人の命が奪われていた。
インドに入った人食いトラは、より大胆かつ頻繁に人を襲うようになった。普通のトラのように人との接触を避けるのではなく、白昼堂々と狩りを行い、一帯を恐怖に陥れた。