SMALL GIANTS

2025.01.27 17:15

「女性ならではの視点でイノベーションを」父の水産会社を継いだ娘の覚悟

15年ほど順調にインドネシアへの輸出を続けていましたが、ある時インドネシアの法律が突然変わり、1つのコンテナに何百品目も詰めて送ることが事実上不可能になってしまいます。
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スーパーの棚が空いてしまう分、何かで埋められないか。そこで安岐氏が考えたのは、惣菜事業への取り組みでした。「当時、日本食のブームがけっこう来ていたので、日本で惣菜の勉強をして、ジャカルタに行って、和惣菜のお店をするつもりでした」。

インドネシアの夢をあきらめた理由は



しかし、すぐにはインドネシアに行く道は開けませんでした。ひとまず安岐氏は、日本向けの魚の惣菜を手がけることにしました。

安岐氏が惣菜事業を始めて以降、工場を増設し、従業員も行き来する形になり、安岐氏の会社と安岐水産とは1つの組織のようになっていました。
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その後も家業は順調に推移していましたが、父の豊氏が病気になってしまいます。今後会社をどうしていくのか、家族の中で不安が大きくなりました。

安岐氏は「5年頑張って会社を盛り上げるから、5年後には退職してインドネシアに行って事業を始めたい」という希望を家族に伝えていました。

しかし、3年ほど家族で話し合いを繰り返し、安岐氏が安岐水産の代表を務めることになります。決め手は、今いる社員に迷惑をかけるわけにはいかない、ということでした。

「家族の都合で、社員さんに申し訳ないことになる。そういう状態を作ったまま、私が自分の夢を叶えるためにインドネシアに行ったとして、じゃあ私の人生はバラ色になるのかな?と思った時に、あ、それはちょっと違うな、それはできないなと思って。だったらもう、やるしかないなって思ったんです」

覚悟を決めた安岐氏が社長に就任したのは、2019年のことでした。

父は真面目に水産加工、じゃあ私は?



安岐麗子氏が安岐水産を引き継いでまず考えたこと。それは「私らしい経営ってどんな経営だろう」でした。

「父は本当に、真面目に水産加工をやってきたと思うんです。『いいものを作っていれば、お客さんがまたお客さんを呼んできてくれるので、営業しなくても買ってくれるんだ』って、父が言ってたんですけど」

もちろん、父は努力していた。しかし、自分が引き継ぐことで、女性ならではの視点でイノベーションできると、安岐氏は考えました。

先代と安岐氏が築いてきたインドネシアとのつながりも生きており、貿易だけでなく、インドネシアの実習生受け入れや、他会社への人材派遣も進めています。

「人と何かをできるっていうことが、やっぱりすごく嬉しいし、仕事の内容は何でもやっていけるのかなと思うんですよね」と、安岐氏は柔軟に幅広くチャレンジする姿勢を見せています。

魚はこれからも値上がりする、だから付加価値を



安岐水産は、工場で加工した商品の業者向け販売が中心の会社。消費者と直接触れ合ったり、声を聞いたりすることが少ない一方通行な点を変えていきたいと安岐氏は語ります。

「これからの経営課題として、魚が少なくなっているということがあります。海外からの調達力も日本は弱くなっていますから、魚価はこれからも上がり続けます。だから、水産加工業は多分どこも厳しいと思うんです。やっぱり、付加価値をどれだけつけていく力を持てるかというところが、会社存続のポイントだと思っています」
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