「会うべき人」がいることは、ラグジュアリーかもしれない

ミラノの刑務所で開催されたアート展の作品に、見学者がポストイットに書き残した「外で会おう」とのメッセージ

カザフスタンの友人と私の関係は、「ある」ことを土台にしています。お互いに何かを求めたり所有したりするのではなく、存在そのものを認め合う関係。これが彼を「会うべき」人の1人にしているのだと感じました。
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学生時代の恩師、ロンドン留学時のフラットメイト、イタリアで活動をしていた時のボスなど、私にとっての「会うべき」人たちには共通点があります。それは、私が「無防備な自分」をさらけ出せる存在であるということ。彼らの前では、未熟さや失敗を隠す必要がなく、むしろそのような自分を受け入れてもらえる安心感があります。私が自分の価値を信じられないときでも、彼らは私を信じ続け、居場所を与えてくれました。

「人の心の弱さ」について研究する社会学者のブレネー・ブラウンは『傷つく心の力』というTEDトークで、このような関係の核心に触れ、「何も持っていない脆い状態こそが、喜びや創造性の出発点だ」と断言します。長年ソーシャルワークを研究してきた彼女は、人とのつながりこそが人生に生きる意味と目的を与えるのだと確信しています。そして、そのつながりは、「愛されている」「居場所がある」という実感によってつくられる、といいます。

「私たちは傷つかないように自分の感覚を麻痺させるとき、同時に喜びを感じるための感覚も麻痺させている。愛や帰属意識を深く感じるために必要なのは『傷つく可能性を受け入れること』だ」
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そう語るブラウンは、人が傷つく可能性を感じるときとは、弱さではなく「勇気」を示す瞬間だといいます。
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例えば「一般受けしない意見を言う時」「自分の立場を主張する時」「『ノー』という時」「愛の告白をする時」「子供を亡くした友人に電話をかける時」。失敗や敗北が「私は愛や居場所に値する」という事実を変えることはない、という経験を積むことで、不確かなことにも果敢に挑戦する勇気を培い、人との深いつながりや生きる喜びを感じやすくなるというのです。

では、このような「会うべき」人とラグジュアリーがどう交差するのか。

「会うべき」人の考察から思うことは、より良い社会を導くラグジュアリーとは、人に「何かが足りない」と思わせるのではなく、「あなたはそのままで価値がある」「あなたは失敗しても、不完全でも、愛と居場所や喜びに値する」と思わせるような存在でなくてはならないのではないか、ということです。

人に無条件の受容と安心感を提供し、果敢に挑戦する勇気や希望を与える。もし「ラグジュアリー」を名乗るものが皆「会うべき」人のような存在になれば、確実に社会はより豊かで温かい場所になるだろうと思います。私自身も誰かの「会うべき」人であるよう努めていきたいです。

文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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