医療の現場:友情と平等が息づく場所
医療の持つ力についても博士は強調します。「医療は、人々を尊厳と敬意、そして平等に基づいて扱うためのツールです。病院の中では、私たちは皆、同じ使命を持つ仲間であり、(イスラエル人であっても)友人でしたし、患者と医師の関係でした」。ガザとイスラエルの政治的対立を超えて、医療の現場では人々が協力し合い、人間としてのつながりが存在していたと語りました。しかし、イスラエルによるガザ地区への攻撃は続き、2009年の攻撃では博士の家族も犠牲となりました。ドキュメンタリー『私は憎まない』では、彼の悲痛な叫びが映し出されています。なぜその姿がテレビ中継されたかというと、当時博士が電話をかけた相手はイスラエル人の友人キャスター。イスラエルの病院へ運ぶための救急車の手配や、攻撃停止を呼びかけたのは、イスラエルのテレビ局のスタッフだったことば映画内で証言されています。当時、これを目にしたイスラエルのオルメルト首相は、この一件に心を痛め停戦を発表したとされています。表向きは対立していたイスラエルとパレスチナですが、個人としてのつながりは依然として存在し、個人的にもイスラエル側にも支援を表明してくれた人々は「たくさんいた」と博士はインタビューで語っています。「多くの人が、私たちが憎しみに包まれると思ったでしょう。しかし、憎しみは伝染する攻撃的な病です」。だからこそ、博士は暴力ではなく、教育と共存こそが未来への道だと強く訴えています。
平和は「教育」から始まる
アブラエーシュ博士は、生き残った5人の子どもたちと共にカナダへ移住し、彼らはカナダの名門大学に進学しています。映画内でも印象的なのは、8人の子どもたちの勉強熱心さ。亡くなった3人の娘たちも、攻撃の少し前の戦時下であっても蝋燭の光で勉強している写真が映し出され、生き延びた子どもたちも重傷を負いながらも病院で勉強を続けている姿が描かれています。難民キャンプで子供時代牛乳瓶を売り生活費を稼いでいた博士は「そこから抜け出すのは教育だけだと気づいた。」と語ります。ガザ地区の大学進学率は決して低くないものの、高等教育を受けても失業率は依然として高い状況です。さらに、選択肢を広げるためにイスラエルの学校に進学した場合、外国人留学生枠に分類されるため、一般のヨルダン人と比べて高額な授業料を支払わなければなりません。2023年10月から続くイスラエル軍の攻撃により、多くの子どもたちは初等教育の機会さえも奪われてる現状が続いています。