「アンドロイドが歌うと、人間が歌っているよりもぞわっとすることがある。そこに何があるのか、っていうことに興味がある。アンドロイドだから超高速で歌える、跳躍音程が出るというのは一過性のショックですよね。それって人はすぐ飽きるんです。そうではなく、アンドロイドが歌う“違和感”の美しさを表現する。いたずらにノイジーにしたり不協和にしたりすると、そこで人は“実験的だね”と、一次情報で終わってしまうからもったいない。そんなことは簡単にできるし」(渋谷)冒頭で述べたように、開場ぎりぎりまで難しい音響のチューニングを行っていた理由がここにある。まず音楽として成立し、それにより多彩なコンテクストが解像度高くオーディエンスに伝わることが重要だった。
客席にいる筆者は常に誘惑と闘うことを迫られていた。
それは眼前で繰り広げられる圧倒的な量のコンテクストを読み解き、理解したいと思う理性的な欲求と、美しく調和する音楽に身を委ねたいという肉体的な欲望のせめぎあい。事実、何度かは目を閉じてただ快楽を貪ってもいた。
「僕好きなんですよね、煮詰めた問いを、こう、バンっ!って投げつけて人が狼狽えているのを見るっていうのが(笑)」(渋谷)特に第2部に挿入される、アンドロイドと声明と電子音による、3つのレチタティーボは、アンドロイドが声明の旋律をリアルタイムで解析し即興でメロディを生成し歌うもの。混じり合う声、予測不能な変化するメロディ、静かに照らし出されるオルタ4の神々しい姿と僧侶たちの荘厳な佇まい。「人は語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインのフレーズを思い浮かべながら、それでも何が起きているのかを紐解き理解しようとしてしまう。ただ困惑するばかりの圧倒的な体験だった。
「SHIBUYAのSは、ドSのS、サービスのSですから」と笑う渋谷は続けて話す。


