エムエス製作所|中小企業の「大谷翔平」二刀流経営
「大谷さんには感謝しているんですよ」。自動車部品の金型を主業とするエムエス製作所(愛知県清須市)の3代目社長、迫田邦裕はほほえむ。大リーグで投打ともにこなす大谷翔平のことだ。現役の医者でもあり、毎週月・火曜日は大分県内の病院で循環器内科医として働く。妻は開業医の跡継ぎで、3人の子どもと大分で暮らす。水曜から金曜は、500キロメートルも離れた地元で家業の金型メーカーの事業に勤しむ。元々は「町工場なんて継ぐもんか。ぐうの音も出ない道へ進もう」と医師を志す。だが長男が生まれると、別の感情が湧いた。「青くさい話ですが、息子に対する父親の気持ちに気づいたんです。自分の父と一緒に仕事をしないと後悔するかもしれない」。一方で医師として東京の大学病院でキャリアを積むと中間管理職となる道も浮上。
「医師としてはマネジメントではなく患者のために手術を続けたい。長い反抗期が終わりました。家業の仕事と両方やってみよう」と、父の後押しもあり2017年に家業に入ったが、社内外で逆風を受けた。「なんでまだ医者やってるの? どうせ腰かけで辞めちゃうでしょ? と自分の立場に苦しみました」。また町工場で働く従業員たちはどこか元気がない。中国やインドなど海外5拠点も含めるとスタッフは130人に上る。
自動車のウェザーストリップをはじめとする金型製作のOEM生産がメインで、下請け体質から脱却できていなかったのだ。組織改革を急務として20年に社長となった。そこで迫田は次々と新規事業を打ち出した。地元企業や伝統工芸の11社を束ねて、鉄を削り出したゴルフの高級アイアンヘッドを企画し、富裕層向けの販路を開拓。金型の設計図を描けるという強みから、自社製造に固執せず、アイデアを実現するため協業相手を増やしていった。
今ではゴルフ事業が社内売り上げの5パーセントに達する。その縁で騎手の武豊とあぶみを開発したり、地元の清須名物としてキャンプ専用クサビを生み出したり、toC事業も育ちつつある。「やりたくないのは顔の見えないものづくり。パートナー企業ともフラットな関係にこだわっています。最近は新規事業がやりたいと転職してくる人もいます」。大谷翔平の活躍で二刀流キャリアにも注目が集まり、今では追い風が吹いている。珍しい承継方法ではあるが、新しい中小企業経営者のキャリアを切り開く。
迫田邦裕◎1978年生まれ。医学博士。東京医科大学卒業後、心臓カテーテル手術専門医として13年間勤務。2016年に家業の金型メーカーに入社後、新規事業を展開。19年に高級ゴルフクラ「MUQU」を発売、20年に武豊騎手とあぶみプロジェクトを開始。同年、代表取締役就任。22年には医工連携療機器「FORUshield」を販売。