国内

2024.02.16

珠洲市の広報紙やHPを神戸市役所が作成 被災地支援の新たな選択肢

珠洲市に派遣された奥田雄大(左)と金田侑士(右)

山間部で甚大な被害が出た能登半島地震。神戸市の職員は1月末までに延べ489人が現地で活動した。

能登から戻った神戸市職員の1人が、神戸市長ら幹部たちに「神戸での経験は役に立たなかった」と話した。彼は、阪神・淡路大震災のとき災害対策本部で広報を担当していたベテランだ。その発言に報告会の会場にいた誰もが聞き入った。
「神戸の経験は役に立たなかった」と話す職員

「神戸の経験は役に立たなかった」と話す職員

1995年の阪神・淡路大震災、神戸では、最大24万人いた避難者に飲料水や食料を効率的に配るために、避難所を集約していくことが至上命題だった。

ところが、近所同士のつながりが深い能登では、避難所に当てられたのは集落ごとの集会所が多い。10人未満でも住民が安心できるのだ。

どうやら、能登から戻った職員が強い言葉で伝えたかったのは、神戸のやり方を押し付けるのは正解でない、現地の本当のニーズを汲み取った支援をすべきという意味だった。
阪神・淡路大震災のときの避難所

阪神・淡路大震災のときの避難所

そんななか、自治体間の災害応援の歴史のなかでこれまでに前例のないリクエストが神戸市に届いた。能登の珠洲市役所からで、広報業務をサポートする職員を派遣してほしいというものだ。

住民への情報提供は、被災自治体の中枢業務だ。うまくできれば被災者は安心するが、失敗すれば混乱を招く。避難所の運営や罹災証明書の発行のように、どこの職員がやっても大差ない業務とは違うので、これまでは他の自治体から応援に来る職員の手を借りるものではないとされてきた。

ところが、珠洲市役所で働くのは全部で約170人だが、そのなかで広報担当はたった1人なのだ。このような緊急時に、ホームページや災害広報紙、LINEなどすべてに手が回るはずがない。

しかも、輪島市や能登町といった隣接する自治体と較べて、住民から「珠洲市は動きが遅い」と厳しい意見も出ていたのだ。

現地派遣と後方支援との組合せ

そんな窮地にあった珠洲市役所からの要請の2日後、神戸市からウェブとSNSのそれぞれの第一人者である2名の職員が現地へと出向いた。

神戸市役所で広報を担当している職員は約40人。その気になれば、2名ではなくもっと多くの職員を送れたのだが、現地ではレンタカー車内や会議室でしか睡眠をとることができないので、まずは最低限の人数で対応することとした。

その一方で、広報の約40名の職員がローテーションを組んで、現地から求めがあれば、神戸市役所でいつでも遠隔で作業ができる万全の体制を構築したのだ。

神戸市職員が到着した2日後に変化が現れた。LINEのメニューが通常版から災害版に変更され、炊き出し情報や給水情報の投稿がスタートした。
変更されたLINEメニュー

変更されたLINEメニュー

実はこのLINEのメニューは、神戸市で働く週3勤務のデザイナーが休日を返上して制作したものだった。

神戸市では、2年ほど前から動画やポスター制作を広告代理店やデザイン事務所に発注するのではなく、自前で制作できるように、デザイナーや動画クリエーター、コピーライター、ウェブの専門家など8名を直接雇っている。これが功を奏して、珠洲市側からの要請にすぐに対応できたのだ。

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文=多名部重則

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