このことは、これらの発見物がイエスとその家族につながっているという直接的な証拠なのだろうか? そしてイエスの遺体が最初の仮の墓の後、二番目の永久的な墓に実際に安置されたという証拠になり得るのだろうか? さらに、イエスが結婚し、「ユダ」という名の子どももうけたかもしれないという証拠を提供するのだろうか?
言うまでもなく多くの学者や教会の権威者たちが、これらの見解について激しく異議を唱えてきた。彼らは、こうした発見物が「福音書のイエスと無関係である」理由をいくつも提示してきた。
その理由の1つは、骨棺に刻まれた名前は、紀元1世紀のエルサレム地域に住んでいた人々の一般的な名前であったというものである。実際、名前を個別に検討すると、明らかにその説明に合致するものもあった(紀元1世紀の人口に関する既知のデータを使い、統計分析研究を適用すると、例えば「マリア」という名は、その時代のこの地域で知られている女性の名前のほぼ22パーセントを占めている)。
しかし、テイバーをはじめとする何人かの学者によれば、より説得力のある分析は、1つの場所におけるユニークな名前の「組み合わせ」にこそあるという。統計的に分析すると、墓とその中身が福音書に記されているイエスとその家族のものである確率はかなり高くなる。他の2つの大きな発見があれば、可能性はさらに高まるのだ。
1万2000ページの証言、475ページの評決
2002年10月21日、ディスカバリー・チャンネルと聖書考古学協会が共催したワシントンでの記者会見で、2000年前の骨棺の存在が発表された。骨棺の碑文にはアラム語で「Ya'akov bar-Yosef akhui diYeshua」と書かれており、英語で「イエスの兄弟、ヨセフの子ヤコブ」と訳されていた。
これが本当に福音書に登場するヤコブ、つまりイエスの弟であり、イエスの死後エルサレムで初期キリスト教運動の指導者であったヤコブの骨棺だと仮定すると──。この発表は実に世界中に反響を呼び、パンドラの箱を開けるがごとく、一連の出来事を連鎖的に引き起こしたのだ。
しかしこの骨棺は、管理された考古学的調査ではなく骨董品市場から出現したものだった。2003年にイスラエル考古局が行った一連の調査によって、「ジェームズの骨棺」は贋作であると断定された。この箱の収集家であり所有者であったオデッド・ゴランは、44件の偽造、詐欺、欺瞞の罪で起訴された。
しかし、7年にわたる120回にも及ぶ裁判の結果、裁判官は126人の証人と数十人の専門家の意見を聞き、1万2000ページにも及ぶ証言を作成し、最終的に475ページに及ぶ評決を下した。
今日、「ヤコブの骨棺」そのものが本物でないと主張する者はほとんどいないが、碑文、特に「イエスの兄弟」の部分の真偽については、いまだに学者たちの議論の的となっている。しかし、多くの学者/科学者が、碑文の彫刻の中に本物の古代のパティナ(対象物が古くなるにつれて、物質の表面に形成される薄い生物化学的な層)が発見されたという観察を支持しており、少なくとも年代については碑文の行全体が本物であることを示している。