キリストの遺骨とイエス一族の墓、骨棺に刻まれた名が語る「真実」とは

「パティオの墓」内、骨棺の置かれた場所。 写真:ウィリアム・タラント、GE Inspection Technologies and Associated Producers, Ltd.

エルサレム南部。アパートが立ち並ぶ、閑静な住宅街の奥深くで発見された遺跡。ノースカロライナ大学シャーロット校の教授で、キリスト教の起源と古代ユダヤ教を研究する著名な学者で歴史家であるジェームズ・テイバー博士は、これを「イエス一族の墓」と思われると発表した。

以降、数々の論争が起き──。

「キリスト磔刑の現場」に新説 学会を仰天させたある考古学者の提言 に続き、テイバー博士の「発見」とその後の論争について見ていこう。

墓、初期の信者、そしてイエスの家族?

旧市街から南へ3キロも離れていないエルサレムの東タルピオット(アルモン・ハ・ネツィブ)地区で発見された2つの墓の調査は、考古学会のみならず広く世間の注目を集め、論争を呼んだ。

2つの墓は一般には「イエス一族の墓」あるいは「庭の墓」、「パティオの墓」として知られている。テイバーと同僚たちは、これらの墓の発見は、これまで発見された中でももっとも貴重な考古学的証拠であると主張している。大々的に公表された「ヤコブの骨棺」とともに、イエスとその家族、そして後に「キリスト教徒」として知られることになるイエスの初期の信者にきわめて直接的に関係する証拠であるため、というのがその理由だ。

エルサレムのような都市では、考古学者による調査でも発見されないような歴史的な宝物が、建設工事によって「うっかり」発見されることがよくある。1980年、まさにそれが起こった。



エルサレムの東タルピオット地区で新しい集合住宅を建設するためダイナマイトを爆発させたところ、墓の入り口らしきものが露出してしまったのだ。墓の外側の中庭部分は残念ながら爆発で破壊されたものの、岩を削って作られたシェブロン、丸いシンボル、長方形の口を持つ外観を特徴とする内側の入り口は残った。

コンクリート板(中央の上から見下ろした写真と拡大写真)は現在、庭園の墓の入り口を覆っている。

コンクリート板(中央の上から見下ろした写真と拡大写真)は現在、庭園の墓の入り口を覆っている。

法律で義務づけられているように、イスラエル考古局の考古学者たちは、迅速な引き揚げ作業と、墓の調査のために招集された。そして1980年3月28日、地方考古学者であるアモス・クロネルの監督の下、考古学者ジョセフ・ガトとエリオット・ブラウンを含むチームと3、4人の発掘者によって発掘が開始された。

調査チームのために墓の板を取り除く作業員。写真:ウィリアム・タラント調査チームのために墓の板を取り除く作業員。写真:ウィリアム・タラント

最初の発掘調査では、発見された6つのコヒムのうち5つに骨棺があり、6フィートの長さの2つの棚あるいはアルコソリア(1年後に骨を集めて骨棺に保管する前に、腐敗させるために死体を並べるのに使われた)があること、そして棚の上には骨片があり、棚の下の古代の床には頭蓋骨を含む他の骨格標本があることがわかった。墓の中には10個の骨棺があった。

この墓の納骨棺には、イエス自身を含む、イエスに関連する名前が刻まれていたという報告がメディアの注目を集め、発見に関する報告書が1996年にまとめられることになった。しかし、この時までに多くの情報は失われており、墓の中の骨はおそらく正教会の宗教当局に引き渡されたか、無記名の共同墓地に改葬されるかしていた。

ところが、メディアがこの墓について最も大きく取り上げたのは、2004年に、映画監督で調査ジャーナリストのシンハ・ヤコボビッチが、テイバーを学術顧問として迎えて結成したチームによる再調査が始まってからだった。この調査は「タイタニック」のジェームズ・キャメロンが全面参画したことでも大きな話題となり、『キリストの棺―世界を震撼させた新発見の全貌』(シンハ・ヤコボビッチ、チャールズ・ペルグリーノ共著、沢田博訳、イースト・プレス刊)という書籍にもなった。
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翻訳=伏見比那子 編集=石井節子

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