植田が4月に総裁に就任する何日も前から、そしてその後の8カ月あまり、量的緩和は終わった、と識者らは確信していた。マサチューセッツ工科大学(MIT)で学んだ植田は、23年間続いた超緩和政策からすぐに撤退するだろうと。
しかし、36週間以上が過ぎた今も、日銀はかつてない量的緩和の泥沼から抜け出せずにいる。チーム植田は、先走って日銀による金利の正常化に大きく賭けることのないよう、トレーダーらに警告している。
たしかに、2023年はほとんどの評論家が予想したようにはならなかった。中国のポストコロナの「にわか景気」が立ち消えになると予想した人はほとんどいなかった。あるいは、日本が新たな不況に陥るとも考えなかった。現在の四半期が、2.9%のマイナス成長だった7-9月期よりも活気づくという兆候はほどんど見られない。
岸田文雄首相の支持率が17%に下落したことも驚きをもたらした。インフレ率が経済成長や給与の伸びを上回ると起きる現象だ。
それでも、植田の選択を観測筋が大きく見誤った理由は、日本が実は違う種類のエコノミックアニマルであることを忘れていたからだ。
日本は2000年から2001年にかけて、量的緩和を先行したが、同じ戦略を取った他の中央銀行ほど、その長所と短所を理解していなかったようだ。米国連邦準備制度理事会は量的緩和を採用し、経済を破綻させることなく終了させた。
同じことは、欧州中央銀行、イングランド銀行、オーストラリア準備銀行でも行われた。しかし日銀は、過去20年間のいかなる時よりも、量的緩和の廃止に近づいていない。
植田の前任者である黒田東彦は、今年4月に退任する前に正常化の舞台を整えることが可能だったはずだ。だが、黒田は保留し、日銀の混乱を尻拭いするという受け入れがたい仕事を植田に引き継いだ。
黒田は結局、10年かけて巨大な日銀バランスシートを構築した。実際、2013年に与党の自由民主党が黒田を指名した時、それこそが彼に与えられた任務だった。 デフレをきっぱりと終了させるためにとった黒田の戦略は、国債と株を買い入れ、経済に前例のない流動性をもたせることだった。