日銀による政策引き締めという最近の不吉な見通しは、財界に衝撃を与えた。借入コストの増加はアナリストらに株価収益率予想の見直しを迫り、株式市場全体に影響を与えるだろう。
それと同時に、過去10年間の構造改革に関する議論は、現実というより願望に近かった。日本の利回りがゼロ以下の時に経営陣が労働者と利益を分け合うことを渋っているなら、金利が2%や3%になった時に給与を上げるかどうか疑わしい。
さらに、政治帝国が逆襲する傾向も見られる。2006年と2007年、日銀は一時的に量的緩和を終了し、2度の公定歩合引き上げを行った。その結果、日本は不況に陥り、政界を激怒させた。そして2008年には、量的緩和が復活した。
日銀はそれ以来、金融システムを量的緩和の泥沼へとさらに深く引き込んだ。これが金利の正常化に伴う金融リスクを高めた。
日本の利回りが上がると、銀行、企業、保険・年金基金、寄付金基金、地方自治体、大学、郵便貯金制度、そして、増加する退職者たちは大きな損出を被る。企業と消費者の信頼が受ける巻き添え被害も甚大だ。
これらすべてが、識者たちが日銀の決断を読み違え続けている理由を説明している。忘れてならないのは、日本が、たとえば3%の割合で成長しているとしても、それは超金融緩和政策とさらに大きい財政刺激政策のおかげであるということだ。
2001年から2006年まで、小泉純一郎(間違いなく、この数十年で日本の最も重要な改革者であると言える)が政権を担って以来、日本政府は公的債務の縮小を約束してきた。その後の各政権は、日本の負債を増やしただけだった。
国の債務対GDP比が260%に達し、人口の高齢化と減少が続く中、量的緩和を終了して引き締めに転じることへの許容度は更に小さくなったと、植田は感じているかもしれない。
ここでは、植田のことを、数十年の現状維持に両手を縛られた腕のたつ日銀のリーダーであると考えるのがよさそうだ。成長の原動力を再調整し、競争力を高めると約束した政治家たちは、そうしなかった。量的緩和を廃止すると口先ではうまいことを言っていた日銀の指導者たちは、日本を自動操縦にまかせる方が楽であることに気がついた。
多くの経済評論家たちが見過ごしてきたのは、乗り越えるのが不可能にも見えるこの競合リスクの試練だ。
日銀の2024年は、巨大な経済ジェンガゲームと見るのが一番良いかもしれない。積み木で作られたタワーを、崩すことなく解体していくことは、言うほど簡単な目標ではない。ひとつ間違えれば、世界市場はめちゃくちゃになる。
かくして、次の選択肢と同じくらい危険な選択肢に直面している植田日銀は、社会通念で考えられるより長く、量的緩和ゾーンに閉じ込められるのかもしれない。
(forbes.com 原文)