CEOs

2023.12.11 15:00

富士フイルムホールディングスの成長と社会貢献を両立させる秘訣は

「逃げると運も逃げていく」

後藤の強みは圧倒的な実行力とスピードだ。それらは17年にわたるアジア駐在の経験で培われた。初の海外赴任は1994年のベトナムだった。現地に送り込まれた社員は後藤ひとり。ゼロから事業を立ち上げるよう言い渡された。当時を振り返り、後藤は「会社人生でいちばん悩んだ時期かもしれない」と漏らす。「本社の人たちはベトナムのことを何も知らない。だから考えて、考えて、考え抜いて自分で決断する癖がつきました」

5年で事業を軌道に乗せた。これで日本に戻れる。そう思った矢先に下されたのはシンガポール行きの辞令だった。同国を拠点に今度はインドやパキスタンなど13カ国で事業を軌道に乗せるよう告げられた。

人種も宗教も異なる人々のなかで営業から経理、人事、代理店の指導など、あらゆる業務に目を行き届かせた。多様性への感度が磨かれると同時に「『後藤さんは怒らせたら怖い』と言われるくらいでないとダメだと悟った」。シンガポールの後は中国に7年。写真からも伝わる後藤の貫禄はこうして磨かれたのだろう。「半歩でもいいから前に出ようという気持ちが運を引き寄せるのだと思います。逃げに入ると運も逃げていく」

いつかは富士フイルムの社長になってやろう。そう思ったことはないのかと聞くと即座に「ない、ない、ない」と否定しつつ、「でも、燃えるような思いで大きな仕事をやりたいというのはあったよね」との答えが返ってきた。「富士フイルムは業態転換をして成功した、日本でトップクラスの企業です。いいサイクルを回して富士フイルムの未来をつくる。これが今の私の使命です」


後藤禎一◎1959年生まれ。83年に富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)に入社。富士フイルムホールディングス取締役、富士フイルム取締役専務執行役員メディカルシステム事業部長などを経て21年から現職。

富士フイルムホールディングス◎1934年に富士写真フイルムとして創立。写真フィルムで培った独自技術を進化させながら、現在はヘルスケア、マテリアルズ、ビジネスイノベーション、イメージングの領域で事業を展開。

文=瀬戸久美子 写真=ヤン・ブース

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年12月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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