筆者が大学の講義で聞いた「ポルフィリン症」という病気と吸血鬼に関する話が、後年、医師として患者の命を救うのに役立った事例を紹介しよう。
発端となった物語
有機化学は、米国の医学部進学課程の学生が履修しなければならない難関科目の1つだ。この科目の単位が取れなければ医学生にはなれず、医師になる夢は潰える。厳しい評判にたがわず筆者も悪戦苦闘させられたが、担当教授のデービッド・ドルフィン博士は、有機化学を楽しく学ぶ方法を教えてくれた。講義初日にカナダの王立騎馬警察の制服を着て登場し、英コメディ集団モンティ・パイソンの「木こりの歌」のビデオを流したのだ。学生たちがたちまち心をつかまれたのは言うまでもない。いい話というのは記憶に残る。ドルフィン博士の研究分野の1つに、ポルフィリン症があった。全身に酸素を運ぶ赤血球に含まれる重要なたんぱく質であるヘモグロビンを構成する、ヘムという物質の合成過程に異常が生じる遺伝性疾患だ。ある日の講義で博士は、吸血鬼の物語と、その下地になったのがポルフィリン症である可能性について語り、学生たちはすっかり話に引き込まれた。
ポルフィリン症の患者の皮膚は日光に非常に敏感で、日に当たると水ぶくれや潰瘍、瘢痕(はんこん)を生じる恐れがある。このため患者は日差しを避けなければならず、外出できるのは夜間のみになる。貧血を起こす場合もあり、そうなると顔色は青ざめ、日光を避けることでますます蒼白になる。歯ぐきが後退するうえ、顔に大きな瘢痕がいくつもできると口の周りが引きつれることから、牙が生えたように見えることもある。ここまで言えば、わかるだろう。
注目すべき点は、近代医学が発達する前の時代には、血を飲むことでヘムの欠乏に伴う機能障害を補おうとしていたふしがあることだ。とはいえ、典型的な吸血鬼の物語とは異なり、人間を餌食にしていたわけではなく、動物から血を得ていたと思われる。
ポルフィリン症には複数の病型があり、誤診もしばしば起こる。日光過敏に加えて、一部の患者によくみられる症状として鎮静に麻薬を必要とするほど激しい断続的な腹痛があり、不要な開腹手術が繰り返されることもある。