実際に、伊藤忠のランキングはどうか。さまざまなメディアが人気ランキングを発表しているが、今年は7媒体で伊藤忠が商社部門1位だった。4年連続の快挙だが、その結果に満足はしていない。「ある調査では全業種で3位でした。これを1位にせいと人事・総務部に目標設定しました。人事・総務部だけじゃない。これまで目標は営業カンパニーにしか設定してなかったのですが、いい会社になるには職能の人間にも目標を設定したほうがいいと考え、この4月からやってます。例えば統合報告書の評価を上げるとか、広告なら大きな賞を取るとか。具体的な目標ができると集中してやれる」
岡藤は社長を退いた今も会長CEOとして全権を掌握する。後任のリーダー像についてはどう考えているのか。
「社長になったら本当に毎日細かい判断をせなあかん。そのときトンチンカンな答えをしていたら会社は大変なことになる。商社はまず稼がなあかんから、営業感覚のない人はダメでしょうね」
リーダーの役割は大局観をもって方向性を指し示すことだと考える人も多いが、そうした見方を一蹴する。
「伊藤忠は、こうあるべきだということをやって失敗してきた歴史があります。66年には、織維商社からの総合化を進めるには石油だと言って東亜石油を買収。当時、伊藤忠は20億〜30億円の利益しかなかったのに1800億円の損を出した。石油を扱うのはいいんです。しかし、経験がないからタンカーを10年間の長期契約して失敗した。それから、バブルのときの不動産もそう。国土が限られているから絶対上がると、現地も見ないで地図だけで買った。あるべき論は誰でも言える。それを実現するために必要なものが備わっているかどうかのほうが大事です」
ビジョナリーなリーダーがもてはやされるなか、現場感覚を重視する岡藤のスタイルはひときわ目立つ。
原点は大阪の繊維部門で生地売りをしていたころだ。当時から、会社でみんなが話していることと客先で聞く話にズレがあることが気になっていた。東京出張のとき、代理店の人に「明日、帝国ホテルで展示会がある」と誘われた。もともとの予定にはなく、着替えももってきていない。しかし、現場に答えがあると気づき始めていた岡藤は大阪に帰らずに展示会に行った。
「ここがターニングポイントでした。展示会に行くと、旦那さんは営業と話していて、実際に生地を選んでるのは奥さんか娘さんでした。それを見て、英国のお堅いブランドじゃなく、女性が知ってるブランドにしたら目立つんとちゃうかと。それでイブ・サンローランと交渉して名前をつけたら、ものすごく売れた。あのとき大阪に帰っていたら今の僕はない」
経営者が「いい会社像」を語ると、どうもきれいごとに響くことがある。だが、岡藤の語る“ええ会社”に建前がもつ空虚さはない。そこには常に足元から考える岡藤の哲学が反映されているに違いない。
岡藤正広◎1949年、大阪府生まれ。74年に東京大学経済学部を卒業し、伊藤忠商事に入社。2006年専務、09年副社長を経て10年4月に社長に就任。18年4月から代表取締役会長CEO。任期中に時価総額を約5倍に引き上げた。
伊藤忠商事◎1858年に初代伊藤忠兵衛が麻布の行商で創業した大手総合商社。すべてのステークホルダーに貢献する「三方よし資本主義」を標榜し、SDGs達成やサステナビリティに取り組む。働き方改革も積極的に推進。