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2023.10.12 17:30

インテルを下し、エヌビディアに挑む「半導体ウォーズ」で復活したAMD

Forbes JAPAN編集部
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3つの柱とは、優れた製品の開発、顧客からの信頼の強化、会社の簡素化だ。スーはエンジニアたちを、インテルに勝てるチップの開発に専念させたが、チップ設計者たちが勝ち目のある最終的な設計図を描くまでには何年もかかった。その間、AMDのサーバー用チップの市場シェアはさらに下がり、0.5%にまでなってしまった。

「会社の業績は不調でしたが、エンジニアたちは最高に開発しがいのあるチップの設計に取り組んでいました。エンジニアの意欲をかき立てるのは製品。それを常に中心に据えていたいのです」(スー)

「Zen(ゼン)」と呼ばれる新しいチップのアーキテクチャの開発を最優先するというスーの判断は17年、Zenの発売によって報われた。「本当に素晴らしい出来でした」と、スーは誇らしげに語る。

Zenでは、AMDのそれまでの設計より50%以上高速の演算が可能になった。それ以上に重要だったのは、Zenの発売によってAMDが経営危機から脱したことを業界に示すことだった。20年に第3世代がリリースされるころには、Zenは演算速度で市場リーダーになっていた。Zenのアーキテクチャは現在、AMDのすべてのプロセッサーの基盤となっている。

自身のチームが新世代チップの開発を主導するなか、スー自身はAMDへの関心を失っていた顧客に直接会い、強力な売り込みをかけた。スーはAMDに売るチップがないときでも、顧客との関係を築き続けていた。現在はヒューレット・パッカードエンタープライズ(HPE)のCEOを務めるアントニオ・ネリの心をつかむべく、テキサスの凍てつく暴風雨のなかを4時間も運転して出かけたこともある。

スーの戦略で特に重要だったのは、爆発的に伸びるクラウド事業のために大量のCPUを必要とするテック大手と新規契約を結ぶことだった。

「マイクロプロセッサーの取引先といえば、事実上エヌビディア、インテル、AMDの3社のみです」

グーグルクラウドのトマス・キュリアンCEOはそう語る。昨年2月、AMDが時価総額で初めてインテルを抜いたとき、現在は86歳になった共同創業者のサンダースは狂喜した。

「知り合い全員に電話しましたよ! 有頂天でした。唯一の心残りは、アンディ・グローブに『勝ったぞ!』と言ってやれないことです」(元CEOのグローブは16年に死去した)

定石を踏まないどころか吹き飛ばす

スーは、数学者と、会計係から転じた起業家を両親にもち、1969年に台湾の台南市で生まれた。サンダースがAMDを創業したのと同じ年だ。一家はスーが3歳のときにニューヨークに移住。彼女がMITで電気工学を選んだのは、いちばん難しそうな専攻だったからだ。スーは対人関係にも長けていて、仲間内で口論が勃発すると仲裁役になったという。

テキサス・インスツルメンツに短期間勤めた後、スーは95年に研究員としてIBMに雇われた。そこで、従来のアルミ配線ではなく銅配線の半導体を使って処理速度を20%高めたチップの設計に尽力。上層部はすぐに彼女の才能に気づいた。

この銅配線技術の採用から1年後の99年、スーはIBMの当時のCEOルー・ガースナーから、彼のテクニカルアシスタントに指名された。ガースナーは20年ぶりのインタビューのなかで、当初はスーのキャリア不足を憂慮したが、心配は瞬く間に払しょくされたとフォーブスに語っている。

「リサは、私のオフィスで働いた社員のなかでも並外れて有能なひとりになりました。彼女は定石を踏まないどころか、定石を吹き飛ばしてきました」
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文=イアン・マーティン、リチャード・ニエバ 翻訳=木村理恵 編集=森 裕子

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年9月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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