食&酒

2023.09.19 17:00

全国を回る「幻影醸造所」でレベルアップ! 日本酒を造る冒険者

「人生をかけて自分の酒を造りたい」

2018年1月から始まった研修は3月終了予定だったが、「楽しくなった」という立川はそのまま居座り、結局5月中旬頃まで佐々木酒造店の蔵にその姿があった。

それでも、まだこの時の立川の目標は酒販店。6月からは全国の酒蔵を巡る旅を始めた。「全部の酒蔵を回って、全部の日本酒を飲みたい。通販で集めることもできますけど、それじゃ面白くない。見学可能な蔵は見せてもらって、蔵のある街の雰囲気を知って、現地で飲みたい」という言葉に「地酒は地域のアイディンティティ」という立川の日本酒観が垣間見える。

夏は酒蔵巡りをしてさまざまな蔵元や杜氏に会ったりさまざまな日本酒を飲んだりして、冬は佐々木酒造店で住み込みの蔵人。そんな生活を続け、3年目の造りのときには、「人生かけて自分の酒を造りたい」と思うようになっていた。この年の最後のタンクは、タンク責任者として米や酵母の選定、レシピなどを一任してもらえるまでになっていた。
「木花之醸造所」でクラフトサケを仕込む立川(ぷくぷく醸造提供)

その後、新型コロナウイルスが蔓延。緊急事態宣言が一時的に解除された2020年6月、福島県南相馬市小高区へ向かった。

震災後、福島県・浜通り(県東部の沿岸地域)はいわき市の2軒のみとなり、4軒の酒蔵があった双葉郡では0軒になっていた。「地酒は地域の誇りやアイディンティティ」と考える立川は、浜通りの酒蔵復活にも取り組みたいと考えていた。

そんな時、自分と年齢の近い若者が小高区で新しく酒蔵を立ち上げる動きがあることを知り、会いに行ったのだ。それが「アバンギャルドで型破り、ドブロク文化を引き継ぐ『クラフトサケ』」でも紹介したクラフトサケ ブリュワリー「haccoba」の佐藤太亮・みずき夫妻だった。醸造責任者として佐藤夫妻に誘われた立川は2カ月後には小高区に移住。それから2022年7月までの2年間、haccobaでクラフトサケを造った。

佐々木酒造店で酒造りを経験した後の、一般的な酒蔵の10分の1以下の規模のタンクで仕込むhaccobaでのスモールなクラフトサケ造りでは、「酒母日数をものすごく短くしたり、一段仕込みにしたり、酒造りの規模感が違うゆえのいろいろな工夫がめちゃめちゃありました」と立川は言う。

さまざまな規模や施設を間借りして、その環境の中で酒を造るファントムブリュワリーの素地は、2軒で酒を造り続けた5年間で培われた。クラフトサケに特化した2年間では100種類以上あるホップの知識など副原料を使うクラフトサケならではの学びもあった。
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文=柏木智帆

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