2011年3月11日、都内の高校生だった時、東日本大震災と福島第一原発事故が発生した。翌年、茨城県の筑波大学に進学後は学内の被災地支援ボランティア団体に所属し、東北地方に通い始めた。ボランティア活動の中で東北の日本酒や食に出会い、「日本酒や酒蔵は地域の人たちにとって誇りやアイデンティティにもなっているすごく貴重な存在」と感じ、日本酒に魅力を感じるようになった。
2年に進学してからは学内で独自に組織を作り、20軒前後の東北の酒蔵や農産物・加工品の生産者・製造者を招き、大学の最寄り駅前で2日間にわたってイベント「食と酒 東北祭り」を開催した。1年目は4000人、2年目には1万人が来場する規模にまで大きくなっていった。
大学卒業後は日本酒とは縁のない企業に就職したが、学生時代に情熱を注いだ「食と酒 東北祭り」の活動が忘れられず、就職から1年半後、会社に「酒屋をやります」と告げて退職した。
「全国的には無名でもおいしいお酒っていっぱいあるんです。たとえば、東北に通っていた中で出会った宮城県の佐々木酒造店さんはすごくおいしいお酒を造っているのですが、9割以上が宮城県内で消費されている。そういうお酒を取り扱いつつ、酒蔵の減少にどうにかブレーキをかけられることをやりたいなと思って、まずは酒販店をやりたいと思いました」(立川)「haccoba」で麹をつくる立川(ぷくぷく醸造提供)
退職後、つくば市にある知り合いの酒販店で3カ月の研修を受けた後、「酒造りをある程度は知っているほうが酒蔵の人と会話もできるしお客さんに造りの説明がしやすい」と考えた立川は、宮城県名取市閖上「佐々木酒造店」へ向かった。
「酒を造る全行程を見たいから2カ月だけ研修させてくださいとお願いしました。2カ月なんて、なめきった話ですけど、大学時代からお付き合いさせてもらっていたので、二つ返事でオッケーでした」と立川。ここから立川の目標が日本酒の売り手から造り手へと移っていく。